第一章/第一幕「悲しき心を持ちし者」

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「あれっ?……」  さっきまでここにいたはずやのに……  そんな事思いながら、男がいた場所を見つめていると不意にいきなり後ろから誰かに話しかけられた。 「あの……伊野部さんですよね?」  話しかけられた事で前に向き直すと一人の青年が名前を呼んだ。 「なんで名前……」 「名刺落とされたんで……」  名乗ってもいないのに名前を知っていたことを聞こうとしていると先に目の前の青年が名刺を差し出して告げられる 「あっ……」 「その手に抱えているのは、多分ですがスーツのジャケットですよね? そこから落とされたみたいですよ」 「どうも……」  すみません、と少し苦笑いを浮かべ頭を小さく下げて受け取るとあっと何か思い出したように声を漏らして、会釈する 「あっ、すみません自己紹介まだでしたね。この店の店主を勤めている村井と言います」  会釈したあとに一言謝りを入れて目の前にいる青年が名前を述べると笑みを浮かべた。 「あなたが初めてのお客さんなんです。僕が引き継いでからのこの心清堂の……」 「心清堂?」 「はい」  村井と名乗った青年がまた伊野部に向かってさらに笑みを深めると今度は深くお辞儀し始める 「ようこそ心清堂へ」  青年は静かに伊野部に告げたあとゆっくりと頭を上げた。 「いや、長居するつもりないからもう……」  用もないのに長居するつもりなんかなかった伊野部は、すぐに帰ろうとしたとき村井と呼ばれる青年の口から言われた言葉におもわず顔がひきつる 「この店は、特別な人にしか来れないんですよ……例えで言えばあなたみたいに自分の事を憎んでいたり、とかね……」 「お前俺の何を知ってんねん!? さっきのやつも全く同じ事……」 「そんなの簡単ですよ、あなたのその右手首の包帯を見たら……」 「……っ!?……」  包帯の巻かれた手首を村井に指摘されるように指を差されておもわず反射的に包帯をしている手首を手で隠した。 「………………………………」 「あまり良くないですよ、自分の事を自分で傷付けるのは……」 「なんやねんお前……」 「あっひとまずカウンターの方にお座り下さい」  お前には関係ないやろ、村井に向かって言おうとしたとき、そんな伊野部の言葉を受け流すように近くのカウンター席に案内された。
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