第一章/第一幕「悲しき心を持ちし者」

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 そして男が出ていった後の店内には静寂が流れた。 「……無茶し過ぎですって村井さん」  しばらくしてずっと黙り込んでいた男がため息をつきながら言った。 「別に無茶してないよ?」  ため息をついた男に笑みを浮かべて答えた。その間も念入りに襟元を直していた。 「それならさっき入ってくれば良かったじゃんか糸田」  ため息をつく男の名前を呼んでそう告げると表情が少し険しくなる 「あんな雰囲気に入っていける訳がないじゃないですか……」  さっきの雰囲気を思い出しながら答えると可笑しそうに笑い声を溢す 「そう? 別に普通だと思うんだけど……俺にしたら」 「……ただあの雰囲気の中に色々させるのが好きなだけやろ」  首を傾げているとカウンターの隅の壁に寄り掛かって話を聞いていたもう一人の青年が呆れたようにボソッと呟いた。 「いきなり何を言い出すのかなぁ? 後藤君」 「さっき見たまんまの感想を言うただけや、普通に考えたらいきなり胸倉を掴まれたら少しでも焦ったりするやろ? それなのにあんたは、逆に胸倉を掴まれた瞬間笑みを浮かべた」 「人聞き悪いなぁ……僕は、ただ人より打たれ強いだけ」 「打たれ強いって言うよりもやな……」 「もう二人共やめて下さいよ!」  糸田が後藤と村井の間に分け入れてこのままだと長くなりそうな話を無理やり中断させた。 「この話はもう終わりです! どんどん話がずれていってますし……」 「あーたしかに……てかなんで未だに敬語なの? 前にさタメ口で良いって許可を出したはずなんだけど……」 「たしかにタメ口で良いって言われました。言われましたけど、やっぱ一応この中で一番年下ですからね」 「そんなの気にしちゃいけないよ」 「気にしますって!」 「止めに入った池田まで話がずれ始めてるやん……」  二人の会話を脱線しようしたのを後藤が微かに笑いながら冷静に告げた。 「……あっ…………それで確認なんですけ……」 「あの人は、心に深い悲しみを持っている……そしてその悲しみを忘れようと自分を傷付いているの」 「……傍らにその親友が心配そうにしながらいるのに気付いていないみたいやしな」  当たり前かもしれんけど、村井の言葉に続けるように後藤も言った。 「えっ? それって……」 「まだ俺の目からでも微かにしか見えへんけどな、でもあれは間違えなくあの人の親友だと思うわ……多分成仏しきれてないんやと思う」  まぁあの人があんな状態やったら、そら安心して成仏する事なんか出来へんやろうな……とごく自然にそして冷静に告げた。
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