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あまりに暗い思い出だから、今更名乗り出て相手の気分を低下させたくない。
それに父は女性関係が華やかだと聞いたばかりだ。
もう次の奥さんを見つけて、再婚する準備をしていたとしたら、昔一時だけ娘だったような私が出てきたら、不快になるだろう。
ただ兄や父が穏やかに暮してくれていればいいと思った。
でも、不幸だったらどうしよう。
服の下に身につけた指輪を握りしめているうちに、バスは海岸沿いの道へ到着した。
ただ一人だけの客だった私を降ろして、バスは走り去る。
私は錆色のガードレールに歩み寄った。
相変わらず、海の色は暗くて濁っている。
昔みたアクアマリン色の南の海は、首に下げている青緑の透明な石とそっくりな色をしていたな、と思い出した。
あれは最後の家族旅行だ。
私はまだ五歳くらいで、こんなに透明で美しい碧の海もあるのかと感動して、真っ白な砂浜を疲れ果てるまで駆け回った。
母親は穏やかに笑っていた。
あの頃は仕事に必死でもなくて、いつも優しい表情をしていたように思う。
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