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ハッとふり返ると、南出さんが立っていた。
「純君か。なんでこないなとこ来た? こないなとこ、いつまでもいたらあかんで。ここは、たぬきの子らの世界やで」
「……たぬきの……子……?」
南出さんのしわしわの人さし指がすっとのびた。門柱を指さす。
目をこらすと、鉄板に「田貫(たぬき)分校」と彫り込まれている。
「ここいらには昔、小学校が建っとった。わしがもっとずっと、おぼこかったころの話や。その小学校は火事で焼けてもった。ちょうど今の、こんぐらいの時期やで……」
南出さんの口のしわが見えにくくなってきて、ぼくは目をこすった。自分の手も、うす闇に包まれていて、見えづらい。
「純君。早う帰るで。このままおったら、わしらまで影ん中へ飲み込まれてまう。たぬきの子らの世界へ連れてかれてまうで」
せかせかと歩き出す南出さん。その後ろについて、ぼくも尾根を引き返した。
「あの子らはな。毎年、この時期になると、この場所にもどって来て、遊ぶんよ。だからここいらのもんは、あの子らが住んどった空き家を壊さんと、そのままにしてのこしとる。たぬきの子らが、毎年帰ってくる家がのうなるてな」
尾根から見おろすと、水平線がゆるい弧を描いていた。
夕日が空と海の間にはさまって、力なく最後の光をはなっている。その上を灯台の白いあかりが、堂々とまわっていく。
「……ねぇ、南出さん。あの野良犬たちは?」
「昔とちごうし、もう野良犬などおらん。犬は昔っから、あの世のつかいと言われとる」
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