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クラリティー
「じゃあ。次は佐々木役。立候補する人は?」
部長であるイオリ先輩の声が集会室に響く。今、私たち旭ヶ丘高校演劇部は文化祭公演に向けて、配役オーディションの真っ最中だ。そして先輩の言葉に佐々木役を希望する四人の部員が返事をし、手を挙げる。
だけど、その中に私はいない。私だって本当は佐々木役をやりたいのに、今回は自分が一番やりたい役に立候補しようって思って、一応は心にだって、そう決めたはずなのに、この瞬間に私は、ただ黙って立ち尽くしたまま……。
「やりたいなら、やればいいのに」
その時、突然、声が聞こえた。それは聞きなれない、けれど、とてもはっきりとした声で、私は思わず周りを見渡す。
「どうしたの? カナ」
そんな私の仕草に隣にいたサユリが気付く。
「ううん、別に何でもない」
本当のことを私は言わずに、そう返事をする。
「じゃあ、佐々木役に立候補する人は、この四人?」
イオリ先輩が、そう言って確認するように私たちの方を見る。でも、それ以上、他に立候補する人はいなそうだった。もちろん私も含めてだ。
「じゃあ。四人は、シーン七をやってもらうから」
そして順番に行われていく四人の芝居。それを見つめながら、私は、ぼんやりとした薄もやが目の前にかかっていくのを感じる。今日も私は臆病者だ。
(あの声、一体、何だったのかな?)
部活も終って、私は個別指導の塾に向かう途中の道を歩いているところ。さっきのオーディションの時に聞こえた「やりたいなら、やればいいのに」ってあの声が、今も鮮やかに心に残っていた。
(でも、周りの誰も何も言ってないみたいだったし、やっぱり気のせいなのかな?)
「はぁ……」
そう思った時、私は耳元で誰かのため息を聞いた。私は立ち止まり後ろを振り向いた。だけど私の半径十メートル以内に人影はなく。しかたなく空を仰いでみても、そこには鈍色の赤に染まる空が見えるだけだった。
そして今度は「はぁ……」私は私の私自身に対するため息を確かに聞く。
(私、ちょっと疲れてるのかな?)
そんなことを思いながら、私はスニーカーのかかとを持ちあげる。そしてこれから向かう塾にスニーカーのつま先を向ける。
「しっかりしろ、私」
頼りないつぶやきで、自分にそう言い聞かし、私は歩きだした。
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