うみからなる

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「汐音……」  汐音に恨まれていないことで少し安堵して、それから、言葉が詰まってしまった。  汐音に話したいことはたくさんあるはずなのに、いざとなると何を話せばいいかわからない。  僕が口を開いては閉じ、を二回繰り返したときだった。 「湊!」  声のほうへ振り向くと、懐中電灯をこちらへ向けた夏帆だった。 「夏帆! そんなに慌ててどうした?」  夏帆は大きく肩を上下させて息をしている。 「どうした、じゃないよ! いつまでも帰って来ないから心配で探しに来たの」  心配させるほど時間が経っていたとは思わなかった。  夏帆に謝ると、「仕方ないなぁ」とため息をつかれた。 「何してたの、こんなところで」  夏帆に、入り江の話をしたことはない。  きっと僕の家族も、わざわざあんな話はしないはずだ。  ――それに。  汐音のほうを一瞥すると、相変わらずの優し気な微笑みを浮かべている。  夏帆は僕の視線を不思議に思ったのか、同じように汐音を見た。 「……そっちに何かあるの?」  どうやら夏帆には、汐音が見えていないらしい。  汐音がいると説明するのは簡単だけれど、信じてはもらえないだろう。  それにそれを言うと、汐音とは誰なのか、というのも話さなくてはならない。 「いや、特に。 子どもの頃を思い出しただけ」 「ふーん、そっか。 気が済んだら、みんな心配してるし帰ろうよ」  汐音とこれきりで別れるのは名残惜しいが、僕には夏帆へのうまい言い訳が思いつかなかった。  こっそりと低い位置で汐音に手を振って、踵を返そうとすると。  汐音の体が少しだけ浮かんで、夏帆に近づいて――腹の辺りに触れた。  思わず汐音を凝視したが、汐音は一度ニコリと笑って、ふっと消えた。  初めから何もなかったかのように、辺りには波音だけが響く。 「どうしたの?」 「……いや……何でもない」  ――僕が見たのは現実なのか、汐音は一体何をしたのか。  僕には到底知る由もなく、疑問が巡る思考を断って場を後にした。
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