第1章

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 俺は今すぐ答えを出せない難問と向き合うのを諦めると、来週、老人ホームで披露する演目『目黒のさんま』の登場人物の一人である『平和な世を生きるアホな殿様』の表情練習を始めた。この演目、殿をどれだけコミカルにかつ実在するように演じられるかが鍵だと思うんだけれど、何回練習しても薄っぺらくなるんだ。  落語家になりたいと思ったのは小学三年生の時だった。  実家には、大黒柱である祖父ちゃんの観たい番組が最優先というルールがあった。もちろん、今も続いている。次に権利があるのが祖母ちゃんで、文句を言ったり番組を変えたりすると、思いっきり尻を叩かれて叱られた。  祖父ちゃんが観たい番組と、俺の観たい番組が重なる確率は四分の一くらいだったかな。  国会中継、競馬、相撲、プロレス、マラソン、駅伝、秘境探検、埋蔵金発掘、クイズ、演芸、歌謡曲、大河、時代劇、ニュースが祖父ちゃんの好きな番組だった。  落語に惹かれのは、今日みたいに雪がちらつく日だった。コタツに入って夕飯を待ちながら、祖父ちゃんが観ていた番組を俺も観るものがないからと観ていた。  落語だった。  当時の俺は、落語の面白さを知らなかった。「爺さんやオッサンが一人でひたすら話し続けるのを観て何が面白いんだ?」と不思議でならなかった。  笑点は面白いから観ていたけれど、出演者のキャラクターとか、ポンポン進む会話とか、出演者の瞬発的な発想力とか、そういうのが面白いんであって、出演者の落語を聞きたいとか観たいとか思うことはなかった。  知らないオッサンの姿を観ながら、ミカンの皮を剥いていた俺は……いつの間にか、オッサンの動き、表情、話に魅了されていた。  あっという間に時間が過ぎた。  母ちゃんが「ご飯よ」と呼びに来て、祖父ちゃんがテレビをつけっぱなしにしたまま席を立った。  俺は「行かなきゃ」と思いつつ、次の落語家の登場に胸が躍った。  たった一人で、口調、表情、座ったままの最小限に抑えられた動き、小道具はほぼなしの状態で何役も演じ分けられるものか、そんなものが面白いはずがないと信じていた俺が、考えを百八十度変えた時間だった。  そこには、面白い映画を観た時と変わらない興奮があった。  母ちゃんや祖母ちゃんの好きなドラマの何百倍も面白かった。  そして、俺は後悔した。もっと前から落語を観ればよかったと。
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