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そこに、一人の女性が現れた。何もなかったはずの空間から、ぱっと。 人間の女性だ。黒く長い髪は海の中でもまっすぐ下に向かって降りていて、切りそろえられた前髪からは端正な容姿が伺える。鼻は穏やかに高く、目は適度な大きさと適度な流麗さを所持している。美人だ、と私は思った。しかし暗い表情と、硬く結ばれた口元のせいで彼女の魅力はいくらか減退している。わたしは彼女の暗い面影に、どこか懐かしさを感じた。 彼女が現れたとたん、海はその色を黒に変えた。生命たちは姿を消し、私の目には彼女と黒しか映らなくなった。  彼女は海の中に浮かんでいる。そしてゆっくりと沈んでいる。 その目は閉じられようとしている。彼女は海の中に入り込もうとしている。 私は彼女の正体に思い至って、ものかなしい気持ちになった。 彼女はまだ、許されていないのだと私は思った。 自分自身に許されていないのだと思った。 だから彼女はここに現れた。許しを求めて。自分を許すために、そのためにまず私に許しを得ようとして。だがここは彼女のようなものが来るべきところではない。ここは概念の海なのだ。物理的で実質的な存在が来てはならない。 海の錠前をつくらなければ。わたしはそう思った。
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