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【2008年 12月某日】
師走を迎えたにも関わらず、中心街行きの電車の中は閑散としていた。
夜の中を走り抜ける電車の中は驚く程に静かで、物思いに耽るには最適だなと、流れ行く車窓の景色をぼんやり眺めていた入川宏の顔に苦笑が浮かぶ。
ど派手に輝くパチンコ屋のネオンサイン。オフィスビルの疎らな光の群れ。等々。
電車が中心街へと近付く程に、闇の中に輝く光の量も輝度も増して行くが、今という時代の世情は暗いし、過去に類を見ない位に“最悪”だという言葉を聞かない日は無い。
「それが全てじゃ無い筈なのに」
乗客も疎らな車内に小さく響いた入川の独り言。
それは、今やすっかり暗い預言に呑み込まれつつある、最近の風潮に対する心情であり、例え世の中が暗い方へと色を変えつつあろうとも、光に包まれた楽園の様な場所は確かに存在すると知ってるからこその言葉でもあった。
「楽園…か」
移ろい変わり行く時の中、淡く澄んだ青から、セピア色へと色を変え始めた“かつての楽園”へと想いを馳せる中、静かな車内にアナウンスが響き、入川は現実へと引き戻された。
《間もなく終点。桜橋。降り口は…》
それから程なく電車はホームへと到着し、数少ない乗客と共に入川は、開いたドアへと足を進めた。
駅から地下街を抜け、地上へと足を進めた入川を迎えたのは、冬の夜の凍える程に冷たい夜気と、それにより研ぎ澄まされた不夜城の輝きだった。
一年、いや、少なくとも半年前までは、まだ宵の口のこの時刻は、多くの人で溢れていた。
だが、数ヶ月前に発生した金融危機の影響だろうか、不夜城を闊歩する人の姿は少なく、一方でギラ付く輝きを放つのみのネオンサインとの対比に、入川は思わず溜息を付いた。
「不景気感ここに極まれり…て奴かな」
数多の人々と同じく自分も金融危機の影響を受けはしたが、だからと言って何かの喪に服したかの様な日々を送るつもりは無い。
楽しむ時は楽しむべきで、それが不確かな未来に繋がる力となる。
例えそれが、一時の逢瀬であろうとも。
だからこそ今は、全力で妄想を楽しむべきなのだと入川が苦笑を浮かべる中。
ジーンズの尻ポケットに入れてた携帯がメールの着信を告げた。
「ん、西島からメール?」
久しぶりに届いた、かつての仲間からのメールは全く予想もし得ない内容で、入川の妄想モードは強制終了となった。
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