駒元奈良未・安佐未姉妹を取り巻いていた環境

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姉妹の生活関係は、凄惨さを極めるものだった。しかし、地方行政では救うことができなかった。理由は、市は、市街整備の失敗により財政が圧迫していた。市は、主要駅ターミナルを中心とした開発に大規模投資をしたが、大量客を当て込んだ高層階駅ビル化が、大規模面積で少数テナント、かつ、高賃料を招いた。客は、居住地区と駅ビルとの接点である駅ビル1階付近のテナントにのみ集中。高層階のテナントは、高賃料により、集客広告費削減を迫られ、大部分が客が来ない状態となった。現在、市がおこなった市街開発を反省点として、各地では駅ビルではなく、線路高架下を利用した長距離アーケード併設水平型エスカレーターを導入。居住地区に近いところまで施設し、全天候で外出に役立つようにした。また、テナントコマは結合可能なものにし、大規模商業を希望している者へも対応した。現在、テナントコマは満室。空き待ち業者が多数等、成果をあげている様子である。 このような財政難に陥っている市行政。責任は国にもある。姉妹の生活関係改善は、国も担わなければならない。 以前から、日本の立法・司法・行政の各府の有志は、非番の際、ボランティアとして普段できないこと、例えば街の清掃、夜回り、信号機のチェック、児童登下校時の防犯、商店街のスリ警備等を自発的におこなっていた。いわゆる「ボランティアガード」である。 姉妹については事情が特別であるため、十数人の「ボランティアガード」から 報告が入っており、国としても対応を考慮している最中であった。だが、結果として間に合わなかった。 姉妹が事故に遭った2065年7月20日月曜日。偶然居合わせたのが、前記十数人の「ボランティアガード」のうちの1人、夏休みで東京から帰省していた、総務省 公害等調整委員会 総務課 審査官 小沼李沙(こぬま りさ)。緊急事態のため、インターネットで「ボランティアガード」内情報共有化するとともに、同委員会の委員で、宮百学園女子大学教授、かつ、医師の吉村愛菜(よしむら まな)にも連絡。吉村が、以前たまたま読んだ業界紙に「チームサイボーグ」が掲載されていたことを思い出し、雑誌で足の踏み場もない部屋から、必死で業界紙を探し出し、当時の独立行政委員会 国立再生治療先端科学研究所 第66研究室 通称「チームサイボーグ」への緊急ダイヤル番号へ電話した。
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