きっと、また何度でも

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早速契約手続きを済ませた後、ついでのように親父さんは言った。 「娘はずっとここを手伝ってくれてる。だいぶ使いものになってきたよ。 今日は定休でね。天気がいいから、どこかに出掛けると言ってたな。 ここには来ないよ」 見透かされた俺は、一言もなかった。 「それと、娘は君の受験のことは一切知らない。 私も話す気はない。 知らせたいなら、君が直接知らせればいい。 私はもう、娘のあんなつらそうな顔は、二度と見たくないんでね。 これは私の、最大限の譲歩だ」 親父さんの声は穏やかだったが、その言葉には反論を許さない強さがあった。 「……すみません。ありがとうございます」 暖かみを増した午後の街を、飛行機までの時間をもて余して、あてもなくブラブラと歩いた。 携帯には、彼女の番号は今も残っている。 この3年間、一度もかけていないし、彼女からもかかって来ない。 彼女はもう、俺の番号など抹消しているかもしれない。 親父さんは、彼女が事務所を変わらず手伝っているとは言ったが、そのほかのことは何一つ教えてくれなかった。 3年前、親父さんとの約束を守れなかったのは、俺。 ギリギリまで彼女の手を離せなかったくせに、結局何の約束もできず、彼女を突き放したのは、俺だ。 彼女が俺の傍にいようがいまいが、この町でやって行くと決意して、これまで頑張ってきたはずなのに、 いざここに来たら、彼女の面影も匂いも暖かみも、あまりに鮮やかに思い出されて、やりきれなかった。 引っ越して来たら、いずれにしろきちんと会わねばならない。 逃げずに向き合うと決めた俺の贖罪の、最後のひとつなのだから。 すれ違う人影をかわしながら、ふと顔を上げたその時。 脇をすり抜けた人影に、全身の感覚がざわついた。 見えない糸に引っ張られるように振り向いたその先に、 ピタリと立ち止まっている後ろ姿。 そのまま振り向いたのは、 少し痩せて、少し大人びて、髪も伸びて、 ――でも紛れもない、彼女だった。 運命だと思った。 この偶然を逃したら、俺はまた、 見たくない現実を先送りにする情けない男に戻ってしまう気がした。 戻って来たことを告げると、 彼女は人目も憚らず、昼下がりの往来で声を上げて泣いた。 まだ一人かと尋ねると、泣きながら何度も何度も頷いた。 俺は泣き止まない彼女の手を引いて、契約したばかりのあのアパートに連れて行った。
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