海なんて嫌いだ。

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「ただいま」 七年の間、彼氏と勝手に思っていた人と別れて、職場も居ずらくなって退職。 私は三十にしてすべてを置いて実家に戻った。 家にはもう母しかいない。 足裏の貝殻をとってくれた父は数年前に他界していた。 妹は結婚して実家近くに暮らしている。 だから、母は寂しくないのだと言うけれど、家は本当に静かだった。 母はいそいそとご飯を用意したり、アイスあるからねと子供扱いをする。 なんだか申し訳ない気持ちになって、私は家をすぐに出た。 蝉がうるさく鳴いている木陰を通り、線路をまたぎ、しばらく坂道を歩く。 静かな住宅街。 すると、急に道が開けて海が広がる。 眼前の海。 海沿いの歩道をゆっくり歩く。 日傘を持っていて良かった。 漣の音が風の音と混じる。 髪が潮風に揺れる。海に染まる。 何も考えなくていいんだと、ふと思えた。 もう何もかもうまくいかない。 動けなくなったから戻らないと、と思って実家に戻った。 ひきこもって、静かに生きよう。終わってしまったからと悲しむ準備をしていた。 でも、そこまで酷い状況じゃないじゃない。 頬を涙が伝う。 懐かしさがこみ上げる。 ざざん、ざざん……と波の音が涙に触れてほどけていく。 海が好きだった。 この街も。 家族も。 あの人も。 また、誰かを愛せたら海に来たい。 好きだったから、裏切られたように感じただけだ。 本当は、眩しいあの波の向こうへ駆けていきたい。 なりふり構わず水ではしゃぐのだ。 それはきっと楽しくて素晴らしい夏の思い出--。
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