自堕落な生活

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「ふざけないでっ!!」 渇いた音の後に、ぽすりと軽い音を立てて眼鏡が芝生の上に落ちた。 大きく溜息を吐くと、一瞬びくりと肩を震わせて、今にも零れ落ちそうに涙を湛えた瞳を揺らして彼女は走り去って行った。 じんじんと疼く熱を左頬に感じながら、拾い上げた眼鏡の無事を確かめる。 柔らかな芝生の上に飛ばされたお陰で傷が付いていない事に一先ず安堵して、シャツの裾で汚れを落とそうとした俺を後ろから響いた声が止めた。 「ちょお待ちーっ!」 振り返った先に居たのは、大学に入って初めての講義で隣りの席になって以来何故か懐かれてしまった藤井だった。 呆れた顔で文句を云いながら、藤井がハンカチを差し出す。 「服で眼鏡拭くとか止めぇや。お前そう云うとこ顔に似合わんと無頓着やんな、ほんま」 顔が何の関係があるんだと思いながら、受け取ったハンカチで眼鏡の汚れを落としていると、左頬に冷やりとした感触がした。 へらりと笑って俺の頬に冷たい缶コーヒーを当てる藤井に、「ありがとう」と云って、眼鏡を掛け直してハンカチを返し、缶コーヒーを受け取った。 一見軽そうに見えて細かい所に良く気が付く藤井は、親の仕事の都合で中学まで西日本を転々としていたらしい。 転校の多い子供は、口数が少なく人の輪から外れてしまうようになるか、逆に人懐っこくなるかの両極端に大抵別れると云う。 後者の場合、新しい環境で浮いてしまわないように、嫌われないようにと云う人間の保護本能がそうさせるのだと聞いた事がある。 だから人一倍周りの感情の機微に敏感で、実は酷く気を遣っているのだと。 確かに良く気は効くが、結構大雑把でズボラなところもある藤井の場合、この人懐っこさと大らかさは持って生まれた性格が大きいと俺は思う。 方言が混じって似非関西弁ぽくなってる言葉も、誰に笑われても本人は全く気にする様子は無い。
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