岡崎城(愛知県岡崎市)

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次に八丁味噌ですが、八丁味噌というのは岡崎城から西に八町離れた場所で製造されていたので八丁味噌と言うらしいです。 八町離れた場所といっても歴史とかに興味ない人にはピンとこないと思うけど、この場合の町は昔の距離を表す単位で、一町=約108メートルだと思ってもらえばいいです。 現代じゃいろんな食べ物や調味料があるけど、昔は味噌は腰兵糧に使用したり、縄とかに染み込ませて戦地に持って行き、それを溶かして味噌汁にしたり、大事なエネルギー源だったんですよね。八丁味噌も精強な三河武士のパワーの源だったんだと思います。 あと岡崎城からは話がかなり脱線してしまいますが、三河と尾張の関係についてもちょいと書いておきます。 尾張は現在の愛知県西部、三河は愛知県東部なんですけど、この2つの国は同じ愛知県でも、全然風土が違うんですよね~。 有名な歴史人物でいうと、尾張は織田信長。三河は徳川家康を輩出していますが、この二人を比べてもイメージが全然違いますよね。 人それぞれイメージは違うかと思いますが、一般的には信長は革命児で、好奇心旺盛。家康は物事に慎重でどことなく土くさいイメージがあると思います。実際この2人は共通する部分は多くあると思うけど、根本的な性質は大きく異なっていると思います。 ではなぜ2人の性質は大きく異なっているのでしょう?もっと言ってしまえば、尾張人と三河人の性質はなぜ異なっているんでしょうね。
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