岡崎城(愛知県岡崎市)

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一番の要因は、やはり風土の違いだと思います。よく、尾張と三河は仲が悪いなんて言われますが、現代ではそうじゃないにしろ、中世から近代に至るまでは実際に仲は良くなく、根本的な思考も違ってたんじゃないかなと思うんですよね。 近代においては明治時代にすったもんだがあったんですよね~。 江戸幕府が倒され明治時代になると、廃藩置県なんて事が行われたんだけど、廃藩置県ってのは要は字の如く、藩を廃止して県を置くって事ですが、いろ~んな流れがあり、尾張地方では旧名古屋藩と旧犬山藩が合併して愛知県となります。 一方の三河地方は旧岡崎藩や旧刈谷藩など小規模の藩がいくつも点在していて、これらの藩が合併して額田(ぬかた)県となります。そして、さらにこの額田県が愛知県に吸収合併される形となり、現在の愛知県となるわけなんです。 で、この愛知県となった時に尾張と三河の間でいざこざが起きちゃいます。 そのいざこざの原因はと言うと予算の分配です。簡単に言うと、名古屋を有する尾張地方は都会だという事で予算が多く割り振られ、三河地方は田舎という事で割り振りが少なかったようなんですね。 当然、自分はこの時代には生きていないので詳しい事は分かんないんだけど、議員だけでなく、住民間でもかなりもめたようです。 結局、尾張方の議員の「尾張は高額納税者がたくさんいる。三河には一人も高額納税者がいないではないか」という、キツい発言に三河の議員は何も反論できなかったようで、このいざこざは収束していったようです。 とはいえ、三河人の心の中には悔しさが残ったでしょうね~。こういった感情はなかなか消えるもんじゃないし。尾張の議員の発言はごもっともだけど、なんか嫌な奴です。 しかし、尾張は都会で、三河は田舎ってのは近代を省いて歴史的にみると事実だよね。別に自分が尾張の人間だから三河の人を見下してるとかじゃなく、これは仕方ない事なんですよ。 というのも、尾張は濃尾平野という全国的に見ても有数の開けた平野があり、三河は広く開けた土地がない山国ですから。ちなみに自分は尾張より三河の方が好きで、三河にはよくドライブに行きます。
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