岡崎城(愛知県岡崎市)

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尾張は濃尾平野という広い平野があって、街道も整備されていたと書いたけど、こういった土地には人が集まるんですよね。要は商人が集まり、商業が発展します。おまけに水も豊かなんで、農業もなかなかのもんです。 さらに極めつけは水運ですね~。 まず熱田は熱田神宮のすぐ南に熱田宿があり港がありました。この熱田宿は江戸時代に整備された東海道五十三次の宿場町の一つで、東海道の中で唯一の海路で、現在の三重県の桑名と繋がっていたんですね。聞いた事あると思うけど「七里の渡し」ってやつです。この海路は結構危険だったようですが、七里の渡しが整備される江戸時代以前から物資のやりとりが盛んで、尾張の経済を潤していたようです。ちなみに熱田神宮のすぐ南に蓬莱軒っていう有名な鰻屋さんがあるんで、熱田神宮に来たら寄るのもいいかもですね~。味は濃いめで、お値段高めですが…。薄味がいい人は熱田神宮の北側にある大和田って店へどうぞ。 もう一つの大きな水運と言えば、津島湊ですね~。津島という町は今でこそ普通の町ですが、明治時代まではかなり栄えていたようです。 津島には津島神社という神社があって、この門前町として栄えていました。津島には天王川という川があるけど、この川を利用して伊勢湾の各地と貿易を行っていました。 戦国時代だと、織田信長もこの津島湊による財源収入を基盤に天下統一へと邁進していきます。津島で盆踊りを踊り狂ったようだし。 ちなみに「津」という字は港(湊)を意味するので、地名に津の字が付けられていたら、港があった可能性が高いです。 そうそう、尾張と三河でもう一つ大きく違っていたのは宗教もでした。 織田信長や徳川家康が活躍していた戦国時代では、尾張は法華宗(日蓮宗)が流行しており、三河では浄土真宗が大流行していたんですね~。 これについてはめちゃ書きたいんだけど、長くなるし、岡崎城についてまだ何にも書いてないんで、西三河一向一揆について書く時に書こうと思います。
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