終章

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   前代未聞の殺人事件として、森園公業の話題は毎日のように新聞や雑誌で大きく取り上げられた。  麗治郎の助言により聡一一座に好意的だった「大都日報社」は、どこよりも事件に関する詳しい内容を掲載し、売り上げを伸ばしたそうだ。もちろん、記事の最後には信煕の友好的な指示を受け、警察の面目を保つための文章も忘れてはいなかった。  逮捕当時、華族という身分ゆえに森園子爵の処分が軽くなるのではないかと案じられていた。たが、「大都日報社」らの働きがけで世論が動き、国が動いた。森園子爵は爵位を返上し、資産を没収され、重刑が課せられるといわれている。  その後、森園邸からは公業の日記が発見されたそうだ。そこには自分が犯した罪の詳細が克明に記されていたという。日記によると駆け落ちしたはずの一輝と環の母親・安千代が、最初の犠牲者だったらしい。  そして、森園邸の庭から十数人分の、女性の白骨遺体が発見された。しかし、まだ明治時代の技術では、どの遺骨が誰のものか判断する術はなかった。そのため、二度とこのような凄惨な事件が起こらぬよう、鎮魂の思いを込めて皆が一緒に埋葬された。  その全ての費用は森園子爵の没収された資産から出ていたのは言うまでもない。
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