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時は明治二十一年。日本では空前の西洋奇術(*手品)ブームが起きていた。
それまでも西洋奇術は世間の注目を集めていたが、この年に起きたブームは今までの人気をはるかに上回り、幅広い層の観客を取り込んでいった。
これ以降、日本古来の手妻(てづま*西洋奇術が洋妻と呼ばれたのに対し、和妻ともいう)に代わり、大仕掛けを使用する西洋奇術が主流になっていく。
もちろん、ブームの最中には数多くの奇術師たちが出現した。その中でも特に際立った活躍を見せた一人の男の存在があった。
その男の名は牧村聡一。先達の奇術師の名にあやかって「鶴天斎聡一」と名乗り、一躍時の人となった奇術師だ。
そして、聡一と勝るとも劣らず天才ぶりを発揮した、もう一人の奇術師の存在があった。
その男の名は宮崎松太郎。横浜で奇術を教わった亜米利加人の宣教師から「イルージョン松一」と命名され、瞬く間に大舞台で活躍した。
西の聡一、東の松一――主に大阪・千日前や道頓堀の劇場で活動する聡一一座と、東京・浅草や新富町の劇場で活動する松一一座。同じ時代に人気を博した奇術師として、二人は後の代まで語り継がれるはずであった。
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