蛍の飛ぶ夜

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蛍を見に行こうと当時つきあっていた彼氏に誘われたのは、6月の初めのことだった。 実家の近くにあまり人の来ない穴場があるとかで、人工の光が何もない真っ暗な場所で見る蛍がいかに美しいかを、彼は熱心に説いた。 都会に生まれ育ってそれまでテレビの中でしか蛍を見たことがなかった私は、一も二もなく喜んで快諾した。 彼の実家は同じ県内でも山間部にあり、私たちはドライブがてら約1時間半高速道路を走り、更にそこから幹線道路を逸れて緩やかな上り坂を30分ほど車を走らせた。 出発から2時間かけてようやく到着した場所は、間近に迫った山に囲まれたさほど大きくもない田が何枚か、それから小川と空と竹林、その他には何もないという絵に描いたような田舎の風景だった。 あぜ道で区切られた狭い水田はそれぞれが山際いっぱいのところまで迫り、縦横に流れる小川は岸に生えた夏草がよく生い茂ってその隙間からしか水面が見えない。 彼によると元々自然の川ではなく、田に水を引くための農業用水路だということだった。 国道からここまで来る途中には古くて立派な日本家屋が一軒あったきりで、今私たちがいる辺りには建物はおろか電柱や標識すら見当たらない。 もちろん街灯やその他照明の類は何もなくて、唯一ある人工物といえば、道路と小川を隔てている簡単にまたげるほど低い煤けたガードレールのみ。
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