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彼
彼が生まれる前から、彼の両親は新興宗教を信じていたそうである。誰もが知っているようなものではない、地域の小さい教団だったが、そういった教団にイメージされるような過激さはなかった。教祖は小柄なおばあさんで、実際、公務員だった父の収入で、一般家庭と同じような生活を送っていたそうだ。
そこの神様はある意味では優しかった。生活を削っての信仰でなくとも、幸せを授けるような神を両親は信じていた。
勿論彼もそのように育てられたが、少しすると謎が芽生えた。それは「なぜ、自分の家はその神様を信じているのに一般レベルの幸せなのだろう」という謎だ。
他の家はそういったものをあまり信じていないとは両親も言っていたし、実際そのとおりのようだった。両親の神は身を削ることは強要しないが、食べてはいけない食べ物がいくつかあったり、小さな約束事のような決まりはあった。日曜日には会合にも行って、そのせいで友達と遊べないこともあった。
それを日々行って神を信じている自分の家が、なぜ信じていない家と同じなのか。それなら信仰しなくてもいいのではないか。ぼんやりした子供の頃からの疑念は、小学校高学年でいじめられて確固たるものとなった。
両親は、彼の話を聞くと「ちゃんと神様は見ていてくれる」「過剰な望みはよくない」「耐えることも信仰のひとつだ」などと彼に言った。いじめと言ってもまだ起こった事件自体は少ない。だが、これまでクラスでいじめられた子を見ていて、彼はこれがエスカレートしていくものだということを子供ながらに知っていた。
実際、それはエスカレートした。特に三人のやることがひどく、物が隠されたり、怪我をしたりした。担任は見てみぬふりで、両親はやはり神頼み以外特にしてくれる様子はなかった。
彼は、優しい神様に愛想をつかした。おそらく同時に両親や教師に対してもそうだった。優しい神様がいるのかいないのかは彼にはわからない。けれど、自分にいま起きていることに対して解決の役にはたたない。彼はゲームで、ギャンブルの簡単な仕組みを知っていた。リスクがなければリターンなどないのだ。
彼に必要なのは、もっと怖い神様だった。
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