人魚の歌姫

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人魚の歌姫

3eb222df-2dff-43f6-bab8-d6be8f0f9c4f  美しくサンゴが群生して、艶やかな熱帯魚が群れを成す透明な海には、人魚たちが暮らしていました。  人魚は海を平穏を守り、そこに暮らす全ての生き物を慈しんで生活しています。  心優しき人魚たちのことを、海の生き物たちは慕っていました。その結果、自然と海を統べる存在となっていったのです。  その中でも、一番地位の高い人魚は、「人魚姫」と呼ばれ、尊ばれています。  美しい者しかいないといわれる人魚の中でも、一際目を引く容姿をしている人魚姫は、一日に何度か海に暮らす生き物のために、歌を歌います。それはこの世のものとは思えないほどに、優しく心に染み込んでいきます。  海で生きるものたちの幸せを願う癒しの歌が聞こえると、皆うっとりと耳を傾けるのでした。  人魚姫の歌声には、魔力が込められており、海で暮らす生き物たちの幸せを願って歌えば、海が荒れることなく、穏やかに保つことができるのです。  ですが、海の生き物たちを憎んで歌うと、海が荒れてしまいます。  そのため、人魚姫になるためには、心が優しく穏やかで、素直であることが求められていたのです。  いつの時代の人魚姫も、海の生き物を慈しみ、歌を歌い続けたため、海が荒れることはありませんでした。  一方、地上はどうだったかというと、人魚姫のような存在はいないため、いつも穏やかな天候というわけにはいきません。  酷い嵐が起こることもあれば、自然災害に見舞われることもあります。  その影響を受けて、いつもより海が荒れてしまうことが、ときどきあるのです。  何度か荒れた海を経験している人魚は慣れているのですが、まだ荒れた海を経験したことがない人魚は、荒れている海になかなか対応できません。  中には溺れてしまう人魚もいるのです。  そんなときには、人魚姫が癒しの歌を歌いながら、そっと手を差し出します。  最初は荒れた海に対応しきれず、慌てていた人魚もその歌声を聞くと少しずつ落ち着きを取り戻してゆき、人魚姫の手を取り荒れた海に慣れていくのです。  あまり泳ぎが得意ではない人魚は、海が荒れると平常心を保てず、パニックから溺れてしまうことがあります。  荒れた海の中で、そんな人魚がいないか、捜し保護するのは人魚姫の役割の一つでした。  溺れている人魚がいなければ安堵し、少しでも早く海が穏やかになるように、祈りを込めて歌うのです。  ある嵐の夜のこと、海はいつもより荒れていました。  泳ぎが得意な人魚でさえ、泳ぐのが難しいと言い出すほど。ほとんどの人魚は流されないために、必死に泳ぐことしかできませんでした。  そのため、泳ぎが特技ではない人魚たちは、流されそうになったり、ケガをしたりと、大きな被害が出ていたのです。  泳ぐことが辛いと思う状況の中でも、人魚姫は溺れている人魚たちを放っておくことはできませんでした。  また、求められている立場上、助けないという選択はできなかったでしょう。 「人魚姫なんだから、溺れている人魚を助けるのは当たり前」と考えられています。  そのせいなのか、自分が泳ぐのに必死なのか、溺れている人魚を助けようとする者はほとんどいません。  溺れている人魚に手を差し伸べている人魚姫を傍観している者が多くいました。  ですが、いくら人魚姫が特別な存在とはいえ、身体能力が特別優れているわけではありません。  泳ぎが特技な人魚がいれば、体力がある人魚だっているのです。  それでも、率先して助けに向かう者はなく、人魚姫に任せている状態でした。  それでも人魚姫は、必死に溺れる人魚たちを助けています。  癒しと海の平穏を願う歌を交互に歌いながら、人魚姫は、とても神々しく、同時にとてもはかなげでした。  このとき、傍観していた人魚たちの一部でも、人魚姫の助けに入れば、運命は違ったものになっていたのかもしれません。  全ての人魚を助け終わったとき、人魚姫の歌の効果もあったのか、荒れていた海は少しだけ落ち着いていました。  まだいつも通りとはいかないものの、泳ぎに慣れている人魚たちにとって、苦になるものではありません。ほとんどの人魚は、いつも通り泳ぐことができる状態になっていたのです。  しかし、溺れる人魚たちを助け続け、歌を歌いながら魔力を使い続けていた人魚姫は、本当に疲れ果てていたのです。  自力で泳ぐことさえできなくなるほどに。  まだ少し荒れている海の中、力を抜いてしまえば流されてしまうことは分かっていました。  しかし、人魚姫は「すべての人魚を助け切った」という安堵の気持ちから、力を抜いてしまったのです。ごく自然のことでした。  その瞬間を荒れている海が見逃してくれるわけはありません。  容赦なく、人魚姫を攫っていってしまったのです。
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