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咄嗟の出来事に、彼女は固まっているようだ。彼女の彼氏になったばかりの男は、その場で力無く仰向けに倒れる。
僕はその光景がおかしくなり、笑いが堪えきれなくなった。そのまま倒れている男の顔を何度も切り付けた。カッターナイフの刃先が、頬の筋肉をぶちぶちと断ち切る感覚が手に伝わる。
どれほどの時間、切り裂き続けただろうか。男の顔はアスファルトに叩きつけられた柘榴のようにぱっくりと割れている。
満足した僕は彼女を正面から見据える。彼女の顔は血の色を無くし、絶望に染まっていた。
「その顔、その顔が見たかったんだよ!」
僕は笑った。
「君のその絶望と嫌悪感に満ちた表情がもう一度見たかったんだ! 僕が中学生の頃、君に告白したときに見せたその顔を!」
より強い絶望を味わってもらう為だけに、彼女が初めて想いを寄せた異性と付き合うこの日を待ち望んでいた。すぐ後ろから二人を監視し、会話も聞き漏らす事無く、最高のタイミングを窺っていた。
「さっきまで幸せだったでしょ? ずっと好きだった男と付き合えたもんね? その幸せの絶頂で彼氏がいきなり殺された気分はどう? 彼氏の顔をグチャグチャにされた気分はどう?」
思わず見惚れてしまうような、最高の表情で彼女は震えている。
「盗撮も盗聴もしたし、日常会話はもちろん、独り言に至るまで、出来る限りチェックして君の動向を把握したんだ! そして尾行中に君に見つかっても、僕だと気付かれて警戒されないようにダイエットして、身なりも整えたんだよ、君の、その顔を、見たかった一心で!」
あのとき僕を否定したその顔。目尻に涙を浮かべ、僕のすべてを拒絶するその表情。ああ、最高だ。今までの血の滲むような努力が全て報われた気がした。
泣きながら逃げ出そうとする彼女の首筋にナイフを突きつけ、僕は微笑む。
「貴方……誰なの……?」
「僕は君と同じ中学の、デブだった大林だよ」
耳元でそう囁き、彼女の右手を優しく握り締める。瞳から光を失った彼女の表情は、今まで見せた表情の中で一番素晴らしかった。
恐らく、僕はすぐに警察に捕まるのだろう。だがそれでも良かった。僕の心は既に満たされていた。胸の中に清涼感に近い、爽やかな感覚が広がった。
あとは、最期を迎えるそのときまでは、目一杯愛してあげよう。
今日は、彼女との大事な記念日なのだから。
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