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迷子のお客さま
「あっついなあ」
智和がやってきたのは、翌日の昼過ぎである。午後は子供たちの昼寝の時間だから、コレーダの客足も途絶えがちだ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し言うやろ。ぼんさんやのに暑いなんて、修行不足やない?」
「あほ。坊主かて人間や、暑いもんは暑い!」
智和はポロシャツにデニムという格好だ。髪は剃髪していないが特に長いというわけではなく、一見すると、感じのいいサラリーマンにしか見えない。休憩スペースに上がり込むと、どっかとあぐらをかいて座った。
「で、何があったん?」
「それがな」
どこから話すべきか沙苗は迷った。いくら寺の息子とはいえ、いきなり「実は、店に幽霊がいるみたいで」なんて話をしてもいいものだろうか。
「まあゆっくり話してくれて全然かまへん。俺はここでのんびり涼ませてもらうわ。うちにおると、あれ手伝え、これ手伝えとか言われてうるさい、うるさい」
「ええ歳こいて何情けないこと言うてんの。そんなんやから嫁の来手もあらへんねん」
跡取りである智和は、親に結婚しろと口うるさく言われている。本人はそれに辟易しているのだが、友人の間ではいいからかいのネタになっていた。
「お前もまだ独身やろ。あんな、お前、男の三十路と女の三十路を一緒に考えたらあかんねんで、わかってるか?」
「うっわー、何それ。いまどき、どえらい男女差別的な発言やねえ、なんかのときにさりげなく園のママさんに伝えとくわ。副園長先生の株大暴落間違いなしやで」
智和は何か言い返そうと口を開いて――そして、急に爆笑した。沙苗は一瞬ぽかんとしたが、あまりにも愉快そうな智和の声についつられて笑い出してしまう。
「なんなん、もうわけわからんわ。そんな、うち、変なこと言うた?」
「ちゃう、ちゃう、せやのうてな……」
笑いながら智和は沙苗の背後を指さした。
休憩スペースにいる智和から見ると、沙苗の座っているレジカウンター、それから例の窓が一直線上に位置している。智和が指したのは、ちょうど窓のあたりだ。はっとして沙苗は振り返る。振り返った瞬間、視界の端に小さな人影が見えた気がした。笑いはあっという間に引っ込んでしまった。
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