序章 前

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 乙王が行った改革のうちの最大のものが商業革命であり、彼は当時物々交換によって成り立っていた国内の経済に、貨幣というものを持ち込んだ。続いて乙王は、王国の周辺にあった諸外国を次々と吸収していった。辛国はその時代の文化の中心であり多くの人口と軍隊を抱えた国であったが、国土自体は大きなものではなく、王国を囲む国々はそれぞれ独立した自治権を持ちながら辛国に朝貢するという体制を取っていた。経済改革を広く行き渡らせるためには法の統一と交通網の整備が必要であり、彼は辛国の権威や軍事力を背景に周辺諸侯を説得あるいは恫喝し、それらの国々を辛国の領土へ変え、辛を封建国家へと変貌させた。抵抗する国に対しては征伐を行ってその国を滅ぼしたため、諸侯は辛のへ下るのでなければ、態度を硬化させて辛の敵国となった。  また乙王は、農業改革を行った。国家が直接所有していた農地を平民に分配する代わりに貢納の義務を課し、農業の効率化を図った。これは結果的に、辛における農業と祭祀との繋がりを絶つこととなった。古来、辛国の田畑は天帝の所有物であり、そこで生産する作物やその生産時期は神託によって占われていた。農地の管理を農民に託したために、田畑は民が所有するものとなり、神殿の神官達は作物について占う必要を失った。  乙王は万事において祭祀を軽視したと言える。本来なら辛王の仕事とは、宮殿の奥に籠もって神と対話することのはずだった。しかし乙王は自ら城を出て城下や農地に足を運び、また軍を率いて外征を行った。彼の生活には占いをする時間などないに等しかった。それまで祭祀は辛国の全ての中心に位置づけられており、膨大な労力と時間とがそれに費やされていた。乙王は、神殿を建築したり占いに使う宝石や珍品を収集するために使われていた時間と資産とを、戦のために費やした。     
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