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少将が憐れみをこめておいていった扇を、手放したくないと思っている自分がいる。
扇に残る香りが亡き父を思い出させるばかりではなく、この扇は少将の――少将と出逢えたあの夜の、たったひとつのよすがなのだ。
……もう一度、逢いたいと思ってる、私。少将明衡さまにお逢いしたい。お逢いして、もっといろんなことをお話しして、そして、そして……。
「いけない。ぼーっとしてたら、いつまで経っても仕立物が終わらないわ」
暗くなってきた室内に灯りをともし、楓子は気を取り直すように縫いかけの衣装に手を伸ばした。
おとといから取り掛かっている見事な袍(ほう)は、権大納言の出仕用の正装だ。
染色や裁縫は家政を預かる女性に必須の能力だが、現実には身分の高い女性ほどこういう肩の凝る手仕事を嫌がるものだ。大貴族の屋敷ではたいがい裁縫専門の下級女房を雇っている。
が、四条大納言家ではそのほとんどが楓子の仕事とされていた。
楓子は蝶が舞うような軽やかな手つきで、袍を縫い上げていく。
これが終わったら表袴(うえのはかま)、峯子の袿(うちき)もある。冬用の綿入れで、あたたかそうだ。
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