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けれど女房はそ知らぬ顔で目を伏せ、なにも言わなかった。どうやら楓子をかばってくれるつもりらしい。
「……ふん、まあいいわ。とにかく、私の袿を早く縫いなさい。それが終わるまでは食事は抜きって、お母さまがおっしゃってたわよ!」
まだ不満そうな顔をしながら立ち去る峯子に、楓子は黙って頭を下げた。
峯子が出ていくと、とたんに身体中の力が抜ける。
楓子は思わずため息をつき、ぐったりと壁に寄りかかった。この部屋には脇息などないのだ。
そして衣の下からそっと少将の扇を取り出す。
「良かった……」
一本の扇をまるで恋人のようにしっかりと胸に抱く。
……わたしの大切な、大切な――。
扇の残り香が導く面影は、楓子の中で、もはや亡き父と少将明衡とが分かちがたく混然としてしまっていた。
が、いつまでもこうしてはいられない。
楓子は下働きの女童に頼んで燭台に火を灯してもらい、頼りない灯りのもとでふたたび縫い物を始めた。
よけいなことを考えないよう、ひたすら針を動かす。
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