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子供達は歩道を楽しげに走っていた。
子供達の笑顔を眺め、充実した疲労感に包まれながら「また行きたいね」とママ友と話していた時だ。
「あらーっ! 可愛い赤ちゃん!」
彼女たちの背後から追い越す形でやってきたのは、50代くらいのふくよかな女性。手にはハンドバッグを下げ、ごく普通の主婦の出で立ちだった。
ベビーカーを押していると、中を覗き込んでくる年配の方は多い。覗き込んだ人間が「あらー可愛いわね」と言う事も、日常茶飯事だ。
彼女はいつも通り「ありがとうございます」とニコリと笑った。大概は赤ちゃんを見たら満足して、それ以上は関わってこない。
しかし、なぜかこの女性はそのまま彼女たちと同じ速度で歩き出した。
「こんな可愛い子、見た事ない。ねえ、ちょっとでいいから抱っこさせてくれない?」
突然のお願いに、彼女は戸惑った。今出会ったばかりの初対面の人間に、いきなり「良いですよ」と娘は渡せない。
娘も歩いていないとはいえ、外出で疲れてベビーカーの中で眠っている。
「嫌です」とあからさまに言うのも棘があると思い、やんわりと笑ってやり過ごそうとした。
ママ友も「遊び疲れてるみたいだからねぇ」と、さりげなく拒否の言葉を投げかけてくれた。
その雰囲気で分かるだろう。そう思ったのだ。
しかしいつまで経っても歩みを止めない彼女に苛立ったのか、その女性は自らの足をベビーカーの車輪に当て、彼女たちの足を強引に止めた。
「ねえっ! 一回だけ! 一回だけでいいから! いいでしょ? ちょっと抱っこするだけだから!」
その剣幕に、拭い様のない違和感を感じた。
見た目は普通の女性だ。自分よりは年上だから、育児経験者なのかもしれない。久しぶりに赤ちゃんの抱っこの感覚を味わいたいだけなのかもしれない。
だけど、彼女はどうしても女性の瞳の奥に「母親」には無い狂気が潜んでいる気がして仕方がなかった。
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