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ひとり杖をつき歩く。
ゆっくり、ゆっくりと。
あの日、あの瞬間を思い出すように歩く。
『必ず帰ってくる』
そう約束した。
西戸崎の海岸で。
【母なる、生命の源の海】で貴女と。
私は国のために死ぬのは嫌だった。
周りは誰も何も言わないが、ついこないだまで学生として、学舎で自由に勉学に打ち込み、青春を謳歌していた。
しかし、急にペンを銃に変え戦えと。
親や兄弟、親類のため、勇ましい言葉を吐く自分。
嫌だった。
だから、貴女にはこの海で本当の気持ちを伝えた。
「俺は必ず帰ってくる。生きて、生き抜いて帰ってくる」
貴女は私の前を歩いていた。
「そう」
一言返事がきた。
それ以上、何も言わなかった。
ただ、浜辺を歩いていた。
白のワンピースに、白のつばの大きな帽子。
このご時世、こんな格好は珍しかった。
贅沢は敵。そんな風潮だったし、もとより手に入らなかった。
しかし、貴女は自分を変えず生きていた。
そして、周りから【言われない】、そんな【家】であった。
帽子が飛ばないよう左手で帽子を押さる。
ふと立ち止まった。
貴女は海を見つめた。
横顔が見えた。
嬉しさも悲しさもない横顔。
ただ、海を見つめる瞳。
沈黙が続く。
辺りは誰もいない。
ただ、波の音だけが浜辺を包み込んだ。
苦しい。
沈黙が辛い。
私はこの苦痛から逃げ出すため口を開いた。
すると、私より先に貴女の口から言葉が出てきた。
「知ってます?生命は海から誕生したんですって。難しいことは私は分からない…けど、海は【母なる、生命の源】なんですって」
貴女はそう言い、私の方へ振り向いた。
「生きて帰って来て下さい」
貴女は笑顔で言った。
その笑顔は夕陽に照され、美しくもあり、儚い、今にも消えてしまいそうな…そんな笑顔だった。
私は今でも思い出す。
この西戸崎の海岸を歩くと。
貴女を思い出す。あの日の美しく、そして儚い笑顔を。
貴女はいない。
私は帰って来た。
でも貴女はいなかった。
生きているのかどうなのかすら分からなかった。
探したが…広島に行った。
それが最後の足どりだった。
美しい貴女。
儚い貴女。
消えてしまいそうだった貴女。
私は今でも貴女を思い出す。
この西戸崎の海で。
【母なる、生命の源の海】で貴女を。
私はまたゆっくりと杖をつき歩き始めた。
ゆっくり、ゆっくりと。
貴女を噛み締めるように。
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