深緑の夜に

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 繋いだ手を通して、俺たちの「エネルギー」が循環する熱が伝わってきた。俺たちは、自分の中にお互いのエネルギーが充填されるのを感じていた。そういうのは、わかる。気のせいなんかじゃない。欲情と呼びたければ呼べばいい。あの人の全てに触れたかった。俺はあの人が熱く潤っているのを知っているし、俺だってスタンバイOKだった。でもそうなれば、かなり面倒だ。俺はスイッチをオフにした。大人にはなっとくもんだな、と思った。スイッチをオフにし続けられたのは、あの人の意識が伝わってきたから、ということもある。俺だって同じ気持ちだった。  俺たちは、無意識にゆっくり歩いた。ゆっくり歩きすぎて、最終的に止まってしまった。せっかく切ったスイッチを、ふたりでオンにした、というわけだ。 「タクシーに乗るわ」  あの人が言った。反射的に俺はあの人を抱き寄せた。俺の肩はじんわりと生温かくなった。あの人の左手は俺と繋がったままで、右手は俺の胸骨に押し当てられていた。俺の背中に回してくれたらいいのに、と思った。俺たちは隙間なく抱きしめ合って、ひとつに溶けてしまえばいいのに。  やがてあの人は声を上げて泣き出した。普段の声とまるで違う、小さな女の子が、自分を押し殺すような泣き方だった。少女が、怯えながら、ごめんなさいと謝りながら泣くような、か細い声。俺は少し力を緩めた。小さな、いたいけな女の子が泣いているときに込めるような力に切り替えた。背中をさすり、ポンポンと軽く叩いた。あの人の耳の冷たさと、耳たぶの柔らかさを愛しく感じた。湿り気を帯びた、熱い吐息。俺は自分の浅くなった呼吸を、意識して深く、ゆっくりと軌道修正した。あの人に伝わるように。泣かなくていい、謝らなくていいんだ、と、あの人に伝わるように。あの人は聞き分けのいい優等生のように、少しして、俺と同じ、ゆっくりとした、深い呼吸をし始めた。そして、ごめんなさい、と言い、ティシュで鼻をかんで、俺を見て、にっこり笑った。そしてまた俺たちは、ふたりを隔てるあの人の家へ向かって歩き始めた。  途中の自販機でペットボトルの水を買い、ちょうど良さそうなビルの非常階段に腰掛けた。手は、繋がれたままだった。
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