身捨様の魚

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 待ち望んだ春が、訪れました。  雪の下で堪え忍んだ草木たちが一斉に動き出し、暖かな風から彩りを取り戻します。  その頃に彼が、防波堤にやってきました。 「なあ、弟」  防波堤にいる人間は彼のみでしたが、ここにはいない片割れに話しかけているようでした。 「親父と一緒に内地にいくんだ」  彼は海を見つめていましたが、視線が交差する感覚はありません。きっと、この海から繋がる遥か遠くを見ているのでしょう。 「ずっと島で育ってきたのに……俺、離れていいのかな。やっていけるのかな」  そう言うと、彼は座り込んで膝を抱えました。  声色だけでなく仕草も、彼の不安を表しているようです。 「母さんも、弟も。みんなこの海にいるのに。置いていっていいんだろうか」  岩陰から出て、彼の近くに寄ります。  ぽたりと、海面が揺れました。彼の頬から雨粒が落ちたのです。 「……俺は、どうしたらいいんだろう」  こんなにも逞しく育ったというのに、膝を抱えて泣く姿は幼い頃と変わらず。人間というのは年月が経っても可愛らしいものです。  私は魚であり、彼に何もしてあげられない――そう判断して岩陰に戻ろうとした時でした。  春の風が強く吹いたのです。
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