しらない兄弟

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 雨の日になると、あの兄弟のことを思い出す。  そして、本棚の奥からあの本を取り出す。内容はただのラブストーリー。大きな展開はなく、最後はハッピーエンド。なにかの賞をとったわけでもない。それでも私にとっては、これはそれ以上の意味をもつのだ。  当時私は大学生だった。大学生になってもやりたい仕事が見つからず、かといって時間を無為に使うことも恐ろしくて、アパートから徒歩十分の古書店でバイトをしていた。  その古書店は慢性的な腰痛をかかえた老婆と、その息子の兄弟が営む小さな店だった。商売っ気がなく、店番をしていても客が来ない日の方が多かった。  自然、私は店番をしている間にそこにある本を読むようになった。  その時にこの本を見つけたのである。  客足の最も遠のく梅雨の時期だった。掃除をしていたら本棚の上のほうから落ちてきたとか、その辺に散らばっていた中の一冊だったとか、そういう偶然で手に取ったのだと思う。特に目を引く装丁でもなく、有名なタイトルでもなかったので、自主的に手に取ったわけではなかった。 「その本、好きですか」  そう聞いてきたのは、店主兄弟の弟の方だった。兄の方は口数が少なく人嫌いのようだったが、弟の方は逆に人懐っこい人だったので、私はこの弟とよく話をした。 「俺はその本、あまり好きじゃないんですよ。早く売れたらいいのになあ」  この弟がなにかを否定するのをきいたのはこれが初めてだったので、私は少なからず驚いた。  そんなにつまらないのですか、ときくと、彼は首をふった。 「つまらなくはありません。でも俺の趣味に合わないから」  そういわれると逆に興味がわいた。値札を見ると十円だったので、私はそれを買って帰った。ようやくその本が売れたので、彼は喜んでいた。  家に帰り、四畳半の万年床でその本をめくった。しかし結局一夜のうちには読み切れず、翌日の店番中に続きを読むことにした。
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