第1章

3/6
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
言わずもがな、すべての生命は海から生まれた。 母なる海…すべての生命の源…そんな言葉が似合う海も、近年の人間の傍若無人さにおいては見る影もない。 海質汚染だの、海上物件の建設だのという人が無責任に警鐘を鳴らすだけの愚かしい環境破壊などだけではない。 人間は辛い時があると、海に一人で向かう。 何かしらに行き詰まったとき…何かしらを失ったとき…何かしらを欲してたまらないとき。 人間は、海に向かってたった一人で叫ぶ。 個人差はあるが、かなりの人間はこの言葉を選ぶだろう。 『海のバカヤロー!』と。 バカヤローって何だ。 海が人間に何かしたのか。 これが山ならヤッホーとなる…海難事故などの理由もあるだろうが山にも事故は起こりうるのだし、あまりにも扱いが違いすぎる。 生命の起源を敬愛するどころか貶めるとは、人間はいつからそんなに偉くなったのだろう? とはいえ、人間というものは自然に自らの感情を吐き出す…本能的に信奉し…自らの支えにしている神とやらに自らを受け止めて欲しいからか。 例えば神社…神棚…懺悔室…初詣の絵馬や七夕の短冊などもそうか。 そういう意味では海は人間にとって神への信仰と同義かであるように、多くのものを受け取ったに違いない。 もし、海に感情があったら確実に津波を起こしているかもしれない。 人間の不始末を、何の関わりもない海のせいにされてはかなわんからだ。 まぁ、そんなことはどうでもいい。 今回は、物言わぬ海に視点を置いて人間の観察日記を書くことにした。 単なる海への敬愛である。 海が人間にとって神と同義なら…人間は海に何を求めているのだろうか? 取材は作者である私が海で行ったが…決して海に盗聴器とかを仕掛けたわけではないことを先に申しておく。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!