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朝比奈が言っているのはあの日の沙耶のことだ。
あの涙は、誰かを想っての涙だと、思っているようだった。
「いや、あの、あれは、違うんです……そういうのではなくって……」
「では、どういうものだったんですか。」
間髪入れない朝比奈の追求に、返す言葉が出てこない。
否定したものの、塞がりっこない傷口が。
無視して痛みに慣れ始めていた傷口が。
「西園寺様の件は聞いています。貴女は、梟王の為に、石垣様から身を引いたと。」
ズキ、ズキ、と再び疼き始める。
「あの時、失った事を、はっきり自覚したから、泣いたのではないですか。」
朝比奈の言う通りだった。
西園寺の登場にショックは受けた。でも納得した気がした。
ああこれで、もう、終わりだと。
煩わしい感情とはさよなら。
清々したとさえ思っていたのだ。
「それから、自分の、気持ちも。」
「っやめてください!」
耳を塞ぎたくなって、思わず小さく叫んだ。
やめてやめてやめて。もう、出てこないで。
息を止めて、塞いで、閉まって、ずっとどこかにいるとしても、空気を入れなければいずれ死んでいく筈の感情。
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