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神楽木が食べるものを詰め終わったころ、裏口の鉄の扉が開く音がした。
「おかえりー。千が来てるよ」
「お! らっしゃい!」
黒いタオルを巻いた頭だけがにゅっと現われ、賢が顔を出した。
どさっと荷物を置く重い音をさせてから、今度は身体ごとカウンター内に出てくる。
線の細い神楽木とは違い、がっしりした体つきで背も高く、Tシャツの袖から伸びる二の腕は日に焼け、たくましい。
「千、なんかしばらくぶりじゃね?」
「うん、忙しいんだってさ。主に彼女で」
「賢さん、遊ぼうよー。久々に釣りしたい」
「釣りいいね。行こうぜ。いつにする?」
「んー。いつだろー。わかんね」
「なんだよ、それ」
「やっぱり千が忙しいんだろうが。聞いてくれよ、今度のモデルの彼女が束縛系なんだってさ」
「おま、モデルと付き合ってんのかよ!」
「モデルじゃねーって」
千次郎はスマートフォンで予定をチェックする。
実際のスケジュールは空白ばかりで、しかし日々がなかなかに忙しいのは、つまるところたいした毎日を送っていないということだろう。
日々を埋めるのは中身のないイベントで、昨日何をしていたかと言われれば特に何をしていたと言えない程度のことだ。
日常は惰性でくだらない。けれど、千次郎はわざとらしくそれを憂いたりはしない。それなりに『今』は楽しいからだ。
SNSに見る日常はもちろん、心身共に充実感の得られる毎日なんて、そうそう存在するものではない。
けして諦めではなく淡々と、千次郎は人生をそう悟っていた。
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