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リュックを置いたままになっていた席に戻ろうとすると、小さく「千」と呼ばれ、神楽木が奥へ姿を消したので、千次郎も黒いカーテンの向こうの厨房に入る。
「お前まだ時間いける?」
「いけるけど」
「頼む、悪いけどちょっとカウンター立ってくれない。フードが間に合わなくて」
「えっ、中!? ホールじゃなくて? 俺、酒作れないよ。わかんない。賢さん休みなの?」
「賢、旅行でしばらく休みなんだよ。立ってるだけでいいから。服も……今着てるのこれでいいから」
着ていた黒いTシャツに手渡された黒のギャルソンエプロンを腰に巻く。
「そこの石鹸できれいに手洗って。まあ、ソフトドリンクぐらいは作れるだろ」
大した説明もないままに、千次郎は急かされてカウンターの中に出た。神楽木はそのまま厨房に残って火を使っている。
「新しいバイト君? すごいイケメン君じゃん」
予想通り、オネエサマ方から声がかかる。
「あー、ドモ。入ったばっかりなんですけど」
「いくつー?」
「二十一です」
「ヤダー、若すぎ! イケメンすぎ!」
「イヤイヤ。……お客様、もうずいぶん飲んじゃってます?」
「今日はまだ全然だよー! ねー?」
「では、お次のお飲み物はいかがですか」
千次郎はこれまでアルバイトというものをしたことがない。
知り合いに頼まれてイベントや家業の手伝いなどをして手当てをもらったことはあるがどれもその場限り、しかもお遊び程度の内容だ。
幸い、器用な性格なので何をやってもそれなりにこなせるし、初めてでもまごつくこともない。容姿でそれなりの喜びを女性に与えられることも知っている。だからこそ避けたい職種でもあった。
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