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見よう見まねでバーテンの真似事などをしているうちに、客が途切れた。
閉店時間はあってないようなものだし、今日の客はもう終わりだろうとのこと。
いつの間にか終電もいってしまっている。
「お疲れー、助かったわ」
神楽木がグレープフルーツジュースを注いでくれる。
あっという間の数時間だったが、立ちっぱなしはそれなりに疲れて、千次郎はカウンター内から出て客側のハイチェアに腰を下ろす。
「ハイ、バイト代」
神楽木はレジから出した紙幣をそのまま差し出した。
「え、いいよ。いつもお世話になってるし」
「ま、そう言わずに。安いけど。彼女にお土産でも買って帰って……ってどこも開いてねえけど。つか電車もないけど」
「タクるわ」
「実家帰れよ。歩いて帰れるんだから」
「あー、確かに。存在忘れてた」
「なんでだよ」
笑いながら神楽木が煙草に火をつける。神楽木が喫煙者であることは聡子も知りえない、完全プライベートな彼の一部分だ。
「お前がいると繁盛するなー。また手伝ってよ」
深夜の疲れも神楽木にかかればアンニュイと表現できる憂いと映る。
千次郎より約二十年も多く、人生経験を積んだ男。
千次郎にしても、その全てを知るわけではない。
独身で彼女はいない。それなりに遊んではいる。
結婚願望はあるのか。ないのか。
知っていることで、聡子にははっきり言えなかったことがある。
『客に手を出さない』のが彼のポリシーだということ。
聡子も感じているふうではあったが、神楽木が矜持としていることまでは知らないだろう。
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