トビラを開けて

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. 朝訪れた大きな白い木枠のドアの前に再び立った。 …瑞稀様はまだご不在…だと薮さんは言っていたよね。 一応ノックをして、ドアをそっと開けたら、静まりかえった部屋の端の大きな花瓶が目に入った。 あれに挿せばいいわけだ。 足早に近づいて花束を目の前に下ろす。 できれば。瑞稀様がお戻りになる前に退散しよう。 そう思って花瓶に花を差し込んだ瞬間だった。 「…その頭の花、涼太の趣味?」 ドアの方から、少し溜息まじりの低めの声がして、振り返ったらドアにもたれてこっちを見てる瑞稀様の姿があった。 しまった…帰って来られていたんだ。 薮さんから連絡無かった…な。 『瑞稀様がお戻りになった時は、スマホのメッセで連絡するから』と最初にスマホを渡されたのに。 でも、薮さんも忙しいもんね。忘れてしまったのかも。 「も、申し訳ございません、気が付かずに…お帰りなさいませ。」 慌てて頭を下げたら、また瑞稀様は溜息をつく。 「何?質問にも答えられないわけ?頭、あんまり良くないんだね。」 両手をポケットに入れたまま、部屋へと入って来ると、ジャケットを脱ぎ始めた。 お、お手伝いしなくちゃ。 急いで側まで行くと、背中へと周る。 「…まあ、そっか。じゃなきゃメイドなんてやってないよね、今のご時世でさ。 もっと良い仕事、他にもいっぱいあるでしょ。」 小馬鹿にしたその言い方に思わずカアッと頭に血が登った。 メイドの仕事をそんな風に言うなんて… お母さんや坂本さんの働きぶりを思い出し、思わずキュッと唇を噛み締める。 けれど、確かに、この人に比べれば私の頭の回転なんて100分の一以下なんだろうから。 …我慢だ。ここで、食ってかかった所で何も良い方に行くなんてことはない。 この人はご主人様で、私は雇われたメイド。 ここをクビになったら私はまた路頭に迷うわけだし。 「……。」 何も言わずに素早く上着をハンガーにかけて収納すると、クローゼットを閉めた。 そんな私の背中から投げかけられる冷やかな鼻で笑う声。 「無反応って…さ。」 「あ~あ」と言う声とともに、ドサッとソファに体を沈める音が聞こえて来た。 …とにかく、とっとと退散して、お茶の支度をしに行こう。 一礼して、残りの花を花瓶にさす。それから、横に座ってスマホを動かしてた瑞稀様に言葉をかけた。 「お茶の支度をして参ります。」 再び頭を下げて、部屋を去るべく、ドアへと歩き出そうとした瞬間。 いきなり手首が少しだけひんやりとした柔らかい感触に包まれて、そのままグンと腕を引っ張られる。 …え!? 咄嗟の事に驚いて振り返った私の目の前に飛び込んで来た瑞稀様のお顔。 煌めきの多い琥珀色の瞳 すっと通った鼻筋 薄めの唇 少し厚めの二重まぶたに長く多めの睫毛がクルンとしていて…どちらかと言うと“美少年”という印象のその顔つき。 間近で見た、その綺麗さ。 思わず見入ってしまった私を前に、今度はその表情がふわりと緩み、優しい微笑みに変化した。 さっき冷ややかに鼻で笑ったのと同じ人物とは思えない位柔らかい…微笑み。 「なんだ、ちゃんと表情変わるんだ。」 「え…?」 「いや…トヤオさん…さ。今日の朝、ここに挨拶しに来た時も今も、全く表情が同じだったから。」 朝…? 一度も目が合わなかったのに…私の表情を見ていた…の? 不思議そうに見つめる私に今度は少し小首を傾げて面白そうに口角をキュッとあげた。 「…あのさ、見つめて貰っている所申し訳ないんだけど、午後はコーヒーだから…薮から聞いてるよね?持って来てくれる?」 「へ…?あっ…」 「いや、『へ…?』って。面白い返事するね。」 ふはっと目尻にシワを作って笑うその表情があまりにも自然で、柔らかくて、トクン…と鼓動が跳ねた。 …って。跳ねてる場合じゃないから。 ご主人様を見つめるなんて…「へ?」なんて答えるなんて…なんたる失態! 「あ、あの、大変失礼致しました!至急ご用意しますので!」 頭を下げると急いで部屋を出てキッチンに向かったけれど 握られた手首の感触と与えられた微笑みの柔らかさを思い出したらどうしようもなく鼓動が早くなって、コーヒーを煎れる手がガタガタと震えて止まらなくなった。 お、落ち着かないと…お、落ち着いて… 「鳥屋尾さん、ありがとう。代わりにやってもらって助かった。」 やっとの思いで、コーヒーを陶器のポットに移し替えてワゴンに乗せたタイミングで薮さんがやって来た。 「い、いえ…。大丈夫です。」 口ごもった私に心配そうな顔をする。 「…何かあった?」 「え?あ…い、いえ…。」 さっきの瑞稀様とのやり取りを思い出したらまた顔が熱くなって思わず俯いた。 「どうしたの…ってあれ?髪のとこの花…」 「あ、あの…庭師の…」 「ああ、涼太?あいつキザな事すんな~。」 え…? 思わず、その言葉使いに驚いて俯いた顔を上げる。 「ああ、まあ、普段はこんなもん?」と眉を下げて笑う薮さん。 そっか…そうだよね、ずっと『執事』の顔をしたままってワケじゃないよね。 でも、その事実が妙に嬉しく思えるな…。 どことなく気が抜けて、頰が緩んだ。 「やっと笑ったね。」 「え?」 「鳥屋尾さん…さ、俺が会いに行った時から、ずっと同じ顔してたから。なんつーか、無表情?」 そうだったのか…私。 確かに色々な出来事が重なってたここ最近。 だけど…自分では普通に戻ってたつもりでいたのに。 自分では自覚が無かったな…。 『何だ、ちゃんと表情変わるじゃない』 フッと瑞稀様の言葉が脳裏を過った。 「あの…先ほど瑞稀様にも同じ様な事を言われました。」 「え…?」 薮さんの少し切れ長の目が、少し見開いた。 直後、顔がふっと緩んで優しくなる。 「そっか…瑞稀様が。」 「あの…?」 「あ、うん。 まあさ、お母さんの事、前のお屋敷のご主人様の事もまだ最近の事だし、ここの屋敷の雰囲気に慣れなきゃって気負ってるのもあるだろうから。 焦らなくて良いから少しずつ色々覚えて行って?」 薮さんは、唇の片端を少しきゅっと上げると、ワゴンに手をかける。 「じゃあ、これは俺が持って行くから。」 まだ優しさをその表情に残したまま、キッチンを出て行った。 .
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