波乱の幕開け

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. 瑞稀様のご両親の帰国と言う、緊急事態。 抱いていた緊張は 「初めてじゃないか?こんなに出来るメイドは。まあ、坂本さんには及ばんが。」 「あなたはまた…。鳥屋尾さん、ごめんなさいね?この人、普段仏頂面の癖に、ここに戻って来ると、気が緩んでおしゃべりになるの。」 お二人の雰囲気と 「いや~!こんな可愛らしい働き者を捕まえるとは!薮君!キミにしては、優秀な仕事をしたじゃないか!」 「…あ、ありがとうございます。」 伊東さんと圭介さんの不思議な掛け合いに、いつの間にかほぐれていて、大きな失敗も無く、無事にお帰りを迎え入れる事が出来た。 翌日 昨日と同じ門の前の玄関掃除をしながら、晴れ渡る空を見上げて、白い息を吐き出した。 瑞稀様…はやく戻られないかな。 旦那様と奥様、そして、伊東さんがとても良い人で、不安はだいぶ無くなったけれど、お二人を見ていると、瑞稀様の陰を色濃く感じてしまって、すごく恋しくなる。 ふうってまた息を吐き出した。 「そんなに溜息をついてばかりだと、幸せが逃げて行きますよ?」 「え?!」 柔らかくて落ち着いた通った声が背中から聞こえて、思わず振り返った 「お、お、奥様!し、失礼致しました。あ、あの…おはようございます。」 箒をそのままに、急いで一礼をしたら、クスリと笑う声と「おはよう」と優しい挨拶が頭の上に降って来た。 本当に…笑うと瑞稀様とよく似ていらっしゃるな。 見蕩れてたら、小首をかしげ、真顔に変わる奥様。 「ねえ…鳥屋尾さん?」 「は、はい…」 「何で、ジャージなの?」 「え?あ、あの…防寒で…」 「そう…。」 恐る恐る覗き込んだら、フッとその唇が弧を描く。 「いえね?…せっかくの可愛いメイド服が見えなくなって残念ね、って話よ。」 思わず目を見開いた。 思い出したのは、あの日の光景。 『や、折角のメイド服が見えなくて残念だねって話』 驚いてる私に再び小首を傾げる奥様。 「どうしたの?」 「あ、いえ…以前、全く同じ事を瑞稀様に言われたものですから…。」 今度は奥様の目が少し見開いた。 「そう…瑞稀が。」 何となく先ほどより寂しさを纏った気がして。 「あの…奥様?」 声をかけたら、ハッとしたようにまた、笑顔にまた戻った。 「ごめんなさい。鳥屋尾さん。 …ただね?その…ジャージはどちらにしても如何なものかと。 坂本さんにその辺言われなかったかしら。 まあ、坂本さんもだいぶ無頓着ですものね…。」 柔らかい雰囲気をそのままに薄めの唇が弧を描いたまま、動く。 「ここは、二宮家の門なの。わかりますか?」 「は、はい…」 「ここで掃除をしているあなたは二宮家の者です」 「わ、私は…」 「あなたがどう思おうと、外を通る人はそう見るのですよ? 二宮家のメイドが『ジャージ』を着て門の所に居るのはあまり感心出来ないわ。」 あ……。 ゴクリと喉を思わず鳴らして、言葉に詰まった。 「も、申し訳ございません…。」 「昔のお屋敷でどう言う教育を受けて来たかは分かりませんが、ここに勤めている以上、二宮家にまつわる、変な噂などがたたないよう、立ち振る舞う事も務めですよ?」 柔らかい中に厳しい言葉。その通りだと思った。 「……。」 言葉無く俯いて、上に着ていたジャージを脱いだら 「これを」 差し出された、奥様が纏っていた黒いダウンコート。 「っ!着れません!私などが…。」 「今貸すだけよ。 二宮家はこの寒空の下、メイドに上着も着せないで働かせてるのかと噂が立ってしまったら困るでしょ?」 「…はい。」 そっと手にとって身に纏ったら今まで感じた事も無いような暖かくて柔らかい着心地。 「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」 再び頭を下げた。 「いいのよ。ここの家は、そう言う事に無頓着な人ばかりだから。 そこに気を回すのは私の役目って事でね。」 ニッコリ笑うその表情は変わらず柔らかい。 …そうか。 こうやって旦那様が気が付かない細部に目を向けて陰からそっと支えているんだね、奥様は。 「では、鳥屋尾さん?今日は私の買い物に付き合いなさい。そこであなたのお掃除の時に着る上着も選びましょうか。」 「え…っとあの…。」 「遠慮は無用よ。私の務めですから。ちゃんと明日から、それなりの物を纏って貰わないとね。」 …そっか、そうだよね。 「では…よろしくお願い致します。」 返事をしたら、不意に奥様が少し不思議そうに首を傾げた。 「ジャージ…の割に、マフラーはきちんとしたものを付けているのね。ウールの素材がしっかりしているわ。そのシュシュも、流行のブランドのものですね。」 あ…。 フッと浮かんだ瑞稀様のお顔。 「それだけしっかりとした小物を選べるならば大丈夫ね。では、また後ほど。」 去って行く後ろ姿を会釈しながら見送ったら視界がぼやけて、ポタン…と涙が落ちた。 …そうだよね。 瑞稀様がお買いになった物だもん。 そこら辺の手軽なお店ではないに決まっている。 私…全然気が付かなかった。 ただ、『瑞稀様からいただいたもの』って事に浮かれて…。 『そう言う所にまで目を向けるのが私の務めですから』 …そんな私には到底無理だ。 ただでさえ、色々な事をを見落としがちで、気が付かない事が沢山あって瑞稀様にご迷惑をおかけしているのに。 そんな知識も、教養も気遣いも、全く持ち合わせていない。 フウッて大きく息を吐き出したら、ハンカチを取り出して目元を拭った。 …こんな所で泣いてたら、それこそ、ダメだよね。 ズズって鼻を啜った瞬間。 後ろからフワリと身体を包まれた。 その心地良く暖かな感覚に、一瞬思考が停止する。 だ、だって…今は…ニューヨークにいらっしゃるはず…では… 回された腕にギュウッと力が入って 「…ただいま。」 耳元をくすぐったのは 優しくて、一番聞きたかった声。 .
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