2 鬼火

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 女は暗視ゴーグルでも付けているかのように軽々と山の斜面を駆け上がると、私の方に手を伸ばしてくる。木の根に足を掛けてその華奢な手に掴まり、女の顔を初めて正面から見る。僅かな月明かりに照らされた女は、とても美しい顔立ちをしていた。  私の手を掴んだまま、女は言う。 「死んだ人が居る夜は、決まって鬼火が見えるの」 「鬼火?」 「ええ、青白い灯火の列。狐火とも言われているけど」  その話を聞いた瞬間、さっき見た青白い光のことを思い出す。引き上げられている途中で思わず手の力を抜いてしまい、態勢を崩した私と女は斜面に倒れ込む。  女の髪を束ねていた髪留めが外れ、長い髪の毛が私の顔の上にばさりと垂れる。  仄かな月明かりに照らされた美しい女の顔が、目の前にあった。息が触れ合うほど、近い距離だった。私に覆い被さる姿勢のまま、女の少し吊り気味の黒い瞳がすぐ間近で私の目をじっと見つめていた。 「見たの?」  静かに女が口を開く。その時になって初めて、女が薄い朱色の口紅を付けていることに気付く。 「さっき、君に助けてもらう直前に……青い灯火の列を」 「鬼火は、狐の嫁入りとも呼ばれているわ。大丈夫よ。邪魔をしなければ、祟られたりはしない」 「た、祟り?」 「おじさん、けっこう恐がりなのね、ふふ」  頬に触れる位に顔を近づいて微笑を浮かべた後、僅かに甘い残り香を残して女は身を離す。  転がった懐中電灯の無機質な光が、闇の中に女の影を長く伸ばしていた。
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