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「お手洗いは右に行って突き当たりで、お風呂はこんな時間だからもうありません。お布団は勝手に敷いて寝てください。山の朝は早いから六時には起こしに参りますね。それでよろしいでしょうか? お客様」
冗談を言いながら、女は私を営林所の一番奥の小さな部屋に案内する。そこは六畳ほどの畳敷きの和室で、部屋の隅には何組かの布団がきちんとたたまれ積んであった。さっき女が話していた林業関係者が、仮眠室として使っている部屋のようだった。
私を部屋に通した女は、大きく欠伸をしながら告げる。
「じいちゃんには、明日の朝話しておくから」
「ありがとう、本当に助かったよ」
「それよりお腹すいたでしょ、おじさん。ご飯もってくるわね」
私が断る前に、女はトントンと床を走って隣の台所へと行ってしまう。
仮眠室の奥には台所や風呂もあり、ある程度生活設備も整えられていたるようだった。あの山の中で野宿する覚悟でいたので、ここに着いてから私はすっかり全身の力が抜けていた。部屋の壁に寄りかかると、全身が溶け出してしまうような倦怠感に襲われる。目を閉じるだけで、ふっと意識が遠のいてしまいそうだった。
「今日は随分、いろんなことがあったな……」
ぼそりと呟く。
(放浪するのも悪くないが、もう少し思慮を働かさないと、また妻に飽きれられてしまうな……)
思った後で、もうそんなことも無いのだと気付いた。
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