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しばらくすると、女がおにぎりと味噌汁、山菜のおひたしを盆の上に乗せて持ってくる。
「こんなものしか無いけど」
「……申し訳ない」
「あはは、おじさん気使い過ぎだって。早死にするよ」
正直空腹で目が回りそうだった私は、がっついてはいけないと思いながらも、すぐに目の前の食事に手を伸ばしていた。女はそんな私を見て何か思いついたように再び台所に戻ると、納戸を開けて何かをごそごそと探し始める。
女が持ってきたのは、一枚の板チョコと栄養ドリンクだった。おにぎりを頬張りながら慌てて礼を言うと、女は微笑んで黙って窓際に座る。
私は味噌汁をすすりながら、窓から外を眺める女の横顔を見る。
女は思っていたよりもずっと華奢で、色が白く端整な顔立ちをしていた。窓から射し込む月明かりに照らされた女の横顔に、思わず見惚れてしまうほどだった。
窓枠に頬杖をついたまま、女は月を見つめながら言う。
「おじさん、家族は?」
「いや、今は一人だよ」
「そう……」
ばつが悪そうに頭を掻く私の方を見ることもなく、女は髪留めを外して長い黒髪を耳に掛ける。
私は箸を置き、女に訊ねた。
「君はおじいさんとここに住んでるって言ってたけど、御両親は?」
「死んだわ。私が小さい頃、猟師に撃たれたの」
「それは……事故で?」
「そんな感じかしら。それ以来、私はじいちゃんに預けられたの」
よく猟師が獣と間違えて人を撃ったというニュースは聞くが、夫婦とも誤射されたなどいう事故は記憶にない。彼女が幼い頃なら、それはもう十年以上前の話ということになる。
「ごめん、余計なこと聞いてしまって」
「ふふ、構わないわよ」
女はさっきまで私が彷徨っていた山の端を見つめたまま、口を開く。
「明日は、狐の嫁入りがあるのかしら」
板チョコを小さく折って口に運ぶ私の手が止まる。さっきの青白い狐火を思い出し茫然とする私の様子を見て、女は悪戯そうにこもった笑い声をあげる。
「大丈夫よ、天気雨のことだから。この雲の様子だったら、にわか雨くらいは降るかもしれないわね」
女はからかうような、それでいて悪意のない視線で私を見つめる。
不思議な女だった。どこかで見たことのある黒い瞳だったが、それが誰の瞳だったのか思い出せない。
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