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私を麓のバス停で降ろした後、軽トラックはUターンする。頭を下げて挨拶する私に、男はクラクションをひとつ鳴らして営林所へと戻って行った。
停留所の重石に腰掛けて見上げると、秋の終わりにしては珍しいほど暖かい陽射しが降り注いでいた。赤褐色の紅葉の合間から、木漏れ日がチカチカと射し込んでくる。
時刻表を見ると、次のバスが来るまでには一時間以上あった。
煙草に火をつけながら、昨日の夜のことを思い返す。
あの若い女が営林所の関係者でないとしたなら、どうして私を案内してくれたのだろうか? 昨日の夜、私が出会ったのはあの女だけだ。女の言っていた祖父の姿も、実際には見ていない。
黄金沢の狐火が朦朧とした私の錯覚だとしたら、あの女もまた同じように妄想だというのだろうか? いくら歩きづめで疲れていたとはいえ、あれほどはっきりと幻覚が見えることなど有り得ない。
それに私は彼女に食事すら出してもらったのだ。あの時の板チョコの半分が、まだコートのポケットには入っている。銀色の包みを取り出してみると、昨日女が悪戯げに囓った跡が、まだチョコレートには残されていた。
「……妄想のはずが、ない」
ならば、女は嘘をついたことになる。
女がこの辺りの人間でないとすれば、わざわざ夜中に私を助ける理由もない。そもそもあんな夜中に、若い女がひとり山の中で何をしていたのだろうか。
「……」
吐き出した煙草の煙が、森閑とした空気の中を拡散していく。
ふと、昨日の女の表情を思い出す。わざと品のない仕草を装っているが、時折はにかんだような笑みを見せる。真っ直ぐに私の目を見据えたあの黒い瞳は、吸い込まれるように深く澄んでいた。
(色々考えても……仕方ない。分かってるだろ?)
そう。
ただ、はっきりしているのは……、
女が私を助けようとしたこと。
「ああ……分かってるさ」
自分に言い聞かせるように立ち上がると、吸いかけの煙草をバス停に備え付けられていた空き缶の灰皿で揉み消す。
そして私は振り返り、再び黄金色の枯れ葉の覆う山道に足を踏み入れた。
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