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その時……。
川のせせらぎに揺らぐ水面に、一匹の狐の姿が映っていた。
顔を上げると、昨日と同じように丸い瞳をした狐が、対岸から私の方をじっと見つめていた。
「狐……」
顔を拭うことも忘れ、水を滴らせたまま狐を見つめ返す。
それは間違いなく、昨日と同じ狐だった。沢の由来にもなったその黄金色の体を、狐は眩く輝かせていた。
「……」
狐の居る対岸に向かって、私はゆっくりと歩き始めた。
靴を履いたまま川を横切るざぶざぶという音が、辺りに響く。川底は思ったより苔で滑りやすくなっていたが、私はただ向こう岸だけを目指して、渓流の中を歩き続ける。
昨日は手を伸ばしただけで逃げた狐だったが、今日は沢を渡ってくる私の姿を黙って見つめていた。
沢の中間あたりから急に深くなり、腰くらいまでの深みになる。足を滑らせると水流に押し流されてしまいそうだった。邪魔になるコートを脱ぎ捨てる。コートは枯葉に混じって、下流の方に飲み込まれていった。
腰まで川に浸かったまま、両手で渓流を掻き分けてゆっくりと一歩づつ沢を渡る。水の冷たさが、次第に足先の感覚を失わせていく。
それでも少しづつ、私は狐の待つ対岸に進んでいった。
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