3 従者

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3 従者

「営林所まで、あと十分くらいよ」  さっきのことなど全く気にしていない様子で、女は話し続ける。 「暫く歩いたら集落もあるわ。学校もね。沢沿いからは見えないけど、すぐ裏手には何件か民家もあるの」 「そうか……じゃあ、あの沢を越えれば良かったんだな」  沢のすぐ先に民家があると知って、私は肩を落とす。もう少し歩いて沢を越えてしまえば、こんな目に遭わずにすんだのだ。 「仕方ないわよ。人間は見える範囲でしか、判断出来ないんだから」  女がひゅんと振り下ろす細い棒が、木の枝をまるで鉈で切るかのように切断していく。 「君はその営林所に、両親と住んでるのかい?」 「営林所の離れに管理人の住居があって、そこが家ね。今はじいちゃんと住んでるの」 「大変だね、想像もつかないけど」 「そう? 私にとってはそれが日常だから。でも運が良かったわね、おじさん。普段はあの沢までは見回りに行かないんだけど」 「随分と奥まで迷い込んだんだな」 「そうね、あの辺りは獣道しかないから」  雑木林を抜けると、砂利が敷き詰められた少し開けた場所に出た。おそらく林業関係者の車が通るために、砂利で舗装されているのだろう。  月の霞はすっかり晴れ、懐中電灯が無くても月明かりで辺りが見渡せるくらいになっていた。女もそう思ったのか、懐中電灯を消して私の隣に並んで歩き始める。  月明かりに照らされたふたつのシルエットが、枯葉の積もった山道に長く伸びていく。 「そういえばおじさん、何でこんな山の中に来たの?」 「理由は無いよ。何もない所……誰も私が何処にいるのか知らない場所に、行きたくなったんだ」 「なんだか思い詰めた顔してるわね。会社クビになったとか、奥さんに逃げられたとか? あはははは」  女が手にした木の枝を林の中に投げると、フクロウの鳴き声がやむ。 「まあ、そんなところだ」 「え、本当に? ……ごめん」  気まずそうに視線を逸らすと、女は人差し指で頬を掻く。 「気にしなくていい。君と話していると、和むよ」 「そう? これでも自殺志願者を思いとどまらせたこともあるのよ。一晩中、山の中で座って話を聞いてね」 「尊敬するよ」 「山人は想いが強いのよ」  そんな話をしている間に、遠くに建物の灯りが見えてきた。おそらくあれが、女の言う営林所に違いない。
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