第1章

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 私は、左手の石を握り締めると、診察室に踏み込んだ。  大きなガラス戸の玄関から光が届かなくなったせいで、診察室の中は物が真っ黒なシルエットにしか見えない。懐中電灯の光が棒のように見えた。 (ひどい臭い……薬の臭い?)  私は診察室の中をさっと左右に照らしてみた。  さすがにパソコンは持って行ったらしく、懐中電灯の光の輪の中に照らしだされた医者の机には、イスが逆さに置いてあるだけだ。部屋の隅にはどういうわけかベッドのマッドやマクラに毛布、クッションなどが山になって積み上げられている。  その横に、L字型の体重計があった。古い銭湯や体重測定で使われていそうな物だ。その上にはもう石がいくつか乗っている。 (本当に、これで願いが叶うのかな)  懐中電灯で腕時計を確認する。電波時計なので狂ってはいないはずだ。  私は石を横に置いて、懐中電灯を持ったまま体重計に手を合わせた。まるでこの道具がご神体か何かでもあるかのように。  リョウとの仲が直りますように。ヤスタカが目の前から消えますように。  時間を見計らって、私は石を体重計の上に置いた。針を動かすバネの音と、ライターを点けたような音。視界の隅が明るくなる。 「え?」  寝具の山に火が灯っていた。火はあっという間に広まり、煙が膨れ上がる。誤って髪の毛を焦がしたような臭い。  そして、それこそ悪霊が出しそうなうめき声が湧き上った。  私は、出口に向かって走り出した。  背を向ける一瞬、煙の中に人影が見えたような気がした。煙よりも黒い人影の、肩や肘、頭に炎がゆらめいている。そしてその人影は、もがき苦しんでいるようにも、喜びに踊っているようにも見えた。  その火は、建物を半分ほど焼いて消火された。  二人組の警察が下校中に声をかけて来たのは、それから数日後の事だった。 「あなたがミナさんですね? 実は、病院の火事についてお話が……」  公園のベンチに腰掛け、私は、目の前に立つ警官達の話を聞いていた。背の高い方の警官がもっぱら話をして、もう一人がメモを取っている。 「焼け跡から、ご遺体が一つみつかったんですよ。それが、ヤスタカさんだと分かりましてね」 「え……」  あの人影はきっと何かの見間違いだ。そう自分に言い聞かせていたのに。
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