転 交差する二人

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 父がいつものように母へ文句をつけ、母が謝りながら身を丸め過度に反応する。すると父は母への暴行を始めるのだ。そして気配を消すように黙っている俺の方に父がやって来て、同じように拳を上げた。顔に飛んできた拳は辺りどころが悪かったようで、俺は口から出血する。それでも無表情で黙っている俺が気にくわないようで、もう一度顔を殴る。俺は血と同時に抜けた歯を吐き出し、父の眼を真っ直ぐに見る。思うと面と向かってはなしたことなんて、これが最初で最後だったのかもしれない。 「父さん、人を殴るのは楽しいか。そんなに愉快かよ。なんで殴られる為だけに産まれたような俺をいつまでも生かしておくんだ。別に、母さんじゃなくても、俺じゃなくてもいいんだろう。なんで俺を生かしているんだよ。」 父は一度拳を下げた。少し間があって、やがてまた殴る体勢に戻る。 「知らねーな。」 答えはそれだけだった。そしてまた父の拳が飛んでくると同時にズボンに隠したナイフで父の胸を一突きした。一瞬の出来事だった。父は雷に撃たれたかの如く後退りをして自分の胸元を見て、苦しそうに呼吸を乱す。父の手が俺の方へ向かってきた時、再び父を刺した。返り血にまみれ身が赤く染まろうとも父を刺すその手は止まらなかった。何度も刺し続け、ようやくその手は止められた。ナイフを握る俺の手元にあったのは、母の手だった。
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