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「そういえばこの海、船幽霊が出るって言い伝えがあるらしいよ」
会話が途切れた空気を繋げるように、どこか投げやりそうに貴美子ちゃんが言った。
「なんだっけ、それ。『ひしゃくを貸せ』って言われるんだっけ」
「船幽霊は海で溺れた人の成れの果てなんだけど……。ひしゃくを渡したら、絶え間なく水を汲み入れられちゃうの。船はどんどん、どんどん重くなって。
――最後にはみんな沈んで、溺れちゃう」
だから、穴が空いたひしゃくを渡さないといけないんだ――と貴美子ちゃんが話を引き取ると、吉田が唐突に「そういえばさ」と酒に焼けた声を出した。
「この前海でナンパした女がさ、髪も長くて顔も好みでドンピシャだったのはよかったんだけどさ」
「何? 幽霊だったとか」
ジュースみたいなチューハイの缶を潰しながら小林君が茶化すと、吉田は「――どんどん重くなってくんだよね」と首を振った。
「ちょっと連絡しないくらいで鬼電かかってきたり、頼んでもない手作り弁当持ってきたり。最初は俺愛されてるなーって思ってたんだけど」
「うざ! のろけ?」
「携帯のメール勝手に見たり、家の前で俺の帰り待ってたり、SNS監視されたり……。ヤバくね? 『結婚したい』とかアリエナイんですけど」
「愛が重くて沈んじゃうって? 吉田、詩人じゃん」
「しかもさ、その女」
とっくにぬるくなったビールをすすりながら、吉田は苦い顔を見せた。
「二十七だって。ホラーじゃね?」
「つまり、その女には、ひしゃくじゃなくて、穴空きコンドームを渡しとけばいいってことだな」
話にオチをつけたのは、彼だった。
どうしてこんな時に、こんなことを思い出すんだろう。みんなが笑って、彼も笑ったその話は、なぜだろう、今の私にはちっとも笑えなかった。
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