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キャンノット・スイム
目の前に広がる、小さい海。海ほど濃くはなく、海ほど広くはない、こじんまりとした海。
その水色の沖で、僕は横たわっていた。
「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、ぜぇはあぁ……はぁ、はぁ、はぁ」
過呼吸になりながら、ゆっくり体を動かし仰向けになる。朦朧とした視界のなかで、うっすらとした輪郭を垣間見た。
「……大丈夫か、お前」
乱れた呼吸を調えながら、聞いた言葉の意味を理解しようとするがーーなかなか出来ない。
数十秒経ってやっと理解できたとき、僕は力のない声で応えた。
「……うん、大丈夫」
「はぁ……」彼は溜め息をつくと、やれやれと首を振って「いいか?」と僕の顔を覗きこむ。
僕は頑張って聞こうと頷いたが、それは聞けば聞くほど耳を塞ぎたくなるものだった。
「まず、まともに泳げないお前がなんで水泳部に入ったんだ? しかも、三年間で海を泳げるようになりたいと? ーー無理だ。」
彼はそう断言し、プールの方を指差した。
「海は危険だ。死者もわんさか出てる。そんな海に、たかがプールで溺れるようなお前が泳ぎにいくなんて、自殺行為だぞ! 海を舐めんな!」
悔しくて、紫色の唇を強くかんだ。拳をぎゅっと握りしめ、ぐっと堪える。
しかし、陽は容赦なく照りつけてきて、同様に彼は僕の耳の近くで囁いた。
「……悪いことは言わねぇ。辞めろ、水泳」
日差しを遮る振りをして、腕を目に当てた。小さな雫が流れるけど、直ぐに乾いてしまう。
気づいたら彼はプールサイドに見えなくて、安心した僕の感情はーー濁流のように溢れだした。
「うあああああぁぁっ、うあああぁっ……んぐぅ、うあああああぁ」
蝉の声も、プールの静かな波の音も、さっきの嫌な言葉も。
全て、掻き消すように泣き叫んだ。
それでもまだ足りなくて、額を地面に押し付けて何度も何度も叫んだ。
これが、僕の夏の始まりだった。
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