「わたし」の物語~小日向有紀の場合

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 声の主は、高齢の女性だった。  彼女は、流行の少年向けバトル漫画を読んでいた(この店は、コミック本をフィルム包装しない方針だそうだ)。  いつものことなのでさすがに慣れたが、やはり意外なチョイスだ。  ひょっとすると、と、ついクセで想像をめぐらせる。  彼女は、溺愛する孫との会話を弾ませるために、ああいう本を選んで読んでいるのではないだろうか? (……うん、ありえる話だ)  さらに視線を移し、奥にいる北高の少年を見る。彼もまた漫画を手にしていたが、かなり古い、往年の名作の新装版だった。  彼は毎日、いまくらいの時刻に来店する。時間的に授業が終わってすぐだろうから、いかなる部活動にも所属しておらず、塾にも通っていない。  けれども彼が読んでいるのは、高校バスケ部の話──いわゆるスポ魂ものだ。そんな彼の日常は、想像するまでもなく……。 「あの、すみません」  声をかけられて、わたしは、はっと正面を向いた。  目の前に、小日向有紀が立っていた。彼の手には、結局、例の恋愛ミステリーが。 「あ、ありがとうございます」  わたしは、あたふたと彼の手から単行本を受け取った。客の様子をじろじろ観察していた後ろめたさがあった。  小日向の表情をちらっとうかがうと、目が合ってしまい、そのうえ優しく微笑んでいただけてしまったので、ますます動揺する。  彼の趣味嗜好や日常や人間関係について、勝手気ままに、いろいろと想像を働かせていたことが、バレてやしないだろうか。  毎度毎度、変な店員だと思われていないだろうか。  彼の対応をするとき、不自然に高揚してしまっているのが、自分でもわかる。  落ち着け仕事しろ仕事、と自分に言い聞かせる。  彼が紙製のブックカバーを必要としないことは、おぼえていた。  機械に通して値段を告げると、彼は、いつものようにクレジットカードを差し出してきた。その署名が、目に入る。  小日向有紀──端正な文字だった。
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