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岡田は頭を抱えた、そうして、苦悶した表情で汗まみれの顔をいっそう汗で濡らした。
「この村はほとんどが漁師や。昔から住んどるから、皆知っとる。でも、お前さんはこの村に来たばかりやった。誰も教えんかったんか、わしも言うておけばよかった。……実は、古くから言われとう言い伝えがあるんや。何が何でも『盆に漁に出ちゃあかん』て。だから、誰もこの時期は漁には絶対出ん」
「そうだったんですか。知りませんでした。それで、今日は港にだれもいないんですね」
男がそう述べると、岡田は首に巻いたタオルで汗を拭き、弱ったような表情で、息を吐き出した。
「出ちまったもんは仕方ない。でも、気を付けた方がいい。それと、今日漁に出たことは誰にも言うなよ、皆恐れて近付かなるから」
「どういうことですか」
男の問いに岡田は視線を外すと、きまり悪そうに帽子のつばを引っ張って声を潜めた。
「みんな、その言い伝えを恐れとる。その掟を破ると災厄が降りかかる、と。巻き込まれたくないんやろな。ただの言い伝えだが、昔からそうやって先代に脅かされてやってきたからな、わしらはみんな意識の中に擦り込まれとるんよ。何も知らん新参者のおまえさんに何も言わず、こうなった後でこんなことを言うのは気が引けるが……」
そう言いにくそうに口にした岡田の語った内容を、男は黙って聞いていたが、間に受けていなかった。
口にしにくいことを教えてくれた岡田には感謝したが、そんな不確かな情報に踊らされるのは馬鹿馬鹿しいと男は判断したのだ。
もちろん、根拠のない迷信に左右されて動揺している村の漁師たちを否定するわけではない。
岡田の忠告通り、今日漁に出たことは誰にも言うまいと思ったが、男は今日漁に出たことは大した問題ではないだろうと思った。
「そうでしたか。すみません、気を遣わせてしまって。わかりました、言われたとおりにします。教えてくれてありがとうございます、岡田さん」
「ああ……はっちゃん」
気をとがめることなくお辞儀をして、その場を去ろうとした男を呼び止めて、岡田は手を掲げたまま、何やら言いたそうに口を動かした。
だが、すぐにその手を下ろすと、口を結び、手を振った。
「……なんでもない、また来週な」
「はい、失礼します」
岡田の困ったような笑顔が目に焼き付き、気になったが、男は笑顔で会釈をするとその場を立ち去った。
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